2008年12月31日水曜日
Have a Wonderful Holiday and Happy New Year
この小さなブログには書ききれないほど、今年も沢山の素敵な人、風景、音楽、映画、本、写真などに出会うことができました。
「起きていることはすべて正しい」
勝間和代さんの言葉はその通りだと思います。
今、私の目の前にある出来事から目をそらさずに、だからといって無理なんかせずに、来年も毎日を素敵に過ごしていけたらと思います。
そして、今年の秋にふと思い立って始めた、小さな、小さな私のブログに訪問してくださった方、本当にありがとう。
皆様にも、素晴らしい時間と出会いが、音なく降ってくる真っ白な雪のように来年も降り続いていくことを心よりお祈りします。
良いお年をお迎えください。
mi-ma
2008年12月30日火曜日
地に足ついた?ってか、ちょっと下品な言語講座-その1
いわゆる、宙に浮かんだ英会話しかできなかった私。
「私はmi-maです。私、オスシ、好きです。あなた、何好きですか?」くらいのレベルでよくもまあ、海外に単独で行ったり、フィジーで3年間も生活することができたなあと思います・・。
でも、だからこそ、言葉の違いに意識レベルで気づくことが、できる。
例えば、NYに何年だ??思春期に10年以上住んでて、ネイティブ並みに英語ベラベラの友人との会話。
(アメリカ?のアニメの中で、雄牛がダダダ~~って画面中央まで走ってきて、そこで、ぶぶぶ~~っと「うん〇」をし、その「物」に「bullshit」という看板をブスっと突き立て、又、ダダダ~って走って去っていくという場面を見た後)
友人:「このbullshitの意味分かる??」
私 :「ん??そのまんま、bull=「雄牛」、shit=「汚物」って意味じゃないの?」
友人:「まあ、それもあるんだけど、日常会話でその意味でのbullshitは殆ど使われないのよね~~。畜産業者じゃあるまいし」
私 :「・・確かに。じゃあ、shit=「くそったれ」っていうスラングの強調語?」
友人:「う~~ん・・。微妙にはずれ」
実際にウシの「物」を見たことある人でしたら想像つくかもしれませんが、あれ、ホント、ほっかりしていて、べっとりしていて、なんか、堆肥とか生産的なものにすらなりそうもないし、しかも、気づかずに踏んでしまったときとか、ホント、悲しいというか、踏んでしまった自分が情けないっていうか、なんか、やるせない気分とかなるじゃないですか・・。
・・多分、そういう気持ちが反映されるのか、
bullshit=「つまんね~~こと、屁にもなんね~~こと、クソマジメで情けない人、派生して、うそっぱち、でまかせ」
という感じのスラングなんだそうです。
友人曰く、例えば、
What he talks about is nothing but a bullshit
「あのおっさんはへにもならないことばかり言う→つまんね~~ことばっかり言うオヤジだよ」
とか、
I won a jackpot at LasVagas!!
「ラスベガスでがっつり儲けちゃったんだよね~~」
That's bullshit!!
「うそつけ!! 」
ってカンジでつっこみをいれたりするみたいです。
それにしても、日本語もそうですけど、うまくいかないとき、思わず「くっそ~~!!」とか無意識に吐いてますけど、あれ・・「糞」・・・なんですよね
なんか、私たちって国籍超えて「うん〇」好き・・・??ちょっと親近感??
ちなみに、フィジーでは、そういうとき、「マンガイチナナ!!」って叫んでいました・・。
これも、相当お下品で・・・又次回にお書きします・・。でもうん〇じゃない・・。
あ!!!この単語、相当、お下品な言葉です!!私たちも突然、海外の人に「クソ~~」ってニコニコ笑いながら話しかけられると、とてもびっくりしてしまうように、逆も又然りです。
くれぐれもTPOをわきまえた言葉を使用されますことを願ってやみません・・。
2008年12月23日火曜日
ハナともだちつくる
今年小学校に入学した姪っ子からの手作り絵本です。
A4の紙を4等分してホッチキスで止めただけのものに、左ページが文章、右ページが絵ときちんと分かれていて、文章の部分なんて、丁寧に定規で線が引かれて、その行間に鉛筆で物語が展開されています。
そして、この物語があんまりにもよかったので、叔母バカだと言われようとなんだろうと、ここに投稿しちゃいます!!
注)文章はそのままですので、途中若干読みづらい箇所があるかもしれません。前後で想像して読み進めてくれるとうれしいです、笑
「タイトル:ハナともだちつくる」
きょうははじめてのようちえん。ハナは、ようちえんにいくのが、うれしくてたまりません。「ともだちできるかな。」「できるわよ。」「はやくいきたいなようちえん。」
「あっバスきたわよ。」「ほんとだ。いってきマース」と、ハナはそういってようちえんにいきました。「ともだちできるかしら。」ママはそういって、いえのなかにはいっていきました。
ようちえんにつくと、おえかきのじかんでした。ハナは、うさぎをかきました。すると「へん」と、ひろ・スーくんがいいました。でもハナはがまんしてました。
つぎはきゅうしょくです。ハナはにんじんがきらいで、のこしてしまいました。そしたら、「いっけナーイ」といわれました。でもがまんしました。
おひるねのじかんがきました。ひろとくんは、ねぞうがわるいのでけられたりたたかれたりしました。
おやつのじかんはミルクとくっきいでした。でもみみちゃんはやさしくて、クッキーをくれました。
「おそとであそびましょう」とせんせい。「ハーイ」とみんな、ハナは、ミミちゃんといっしょに、かくれんぼをしました。
おむかえがきました。「マーマー」とハナはだきつきいえへかいりました。「ともだちできた?」「うん」「うん」
つぎのひようちえんにきてみたら、「はっぴい」とみんながきて、「おたんじょうびおめでとう」「わあい」
「きのうはいじわるしてごめんね。」とみんな「いいよ」とハナ、「きょうは、おたんじょうびかいしっちゃオー」「やったあ」
さあおたんじょうびかいのはじまりです。まじっくしょうや、にんぎょうげき。いろいろたのしいようちえんです。
「おしまい」
叔母感想:この物語に、新しい組織に入る際の、人の心の動きと流れが表れているような気がしてなりません。ハナは最初にようちえん、すなわち新しい組織に入るとき、とてもわくわくしています。一方ママ、すなわちそれまでハナが属していた組織の人間は、「わくわく」はしていないように見えます。
「大丈夫かしら」と心配し、もしかすると、心の中では、「新しい組織になんて入れずにいてほしい」と願っているようにすら見えます。
そして、次の日、ようちえんにわくわくしながら入ったものの、「がまん」の連続です。絵を描けばからかわれ、好き嫌いをバカにされ、あげくのはてには、悪いことなんてしていないのに、蹴られ殴られと精神的、身体的にボコボコにされているようです。
この話の展開には「う・・」っときました。まさしく、その通りだと思ったからです。
私たちって、どうして、新人や新しいことを、初め無意識のレベルで排除しようとするんでしょう・・。
そういう遺伝子もってんのかな~~・・
そして、その「がまんの儀式」に耐えたハナはようやく少しずつ、周りから受けられていくようです。ハナは多分女の子なので、まずは女の子と仲良くなっています。私たちもまずは、同性が接近することを考えると面白いほど現実と合致しています。そして、多分、「ひろと」くんは、その後「ハナ」を好きになりますね!!(笑)
そして、ママのお迎え。一旦懐かしくてあったかい今までの組織に戻り、心を休めています。
次の日にはすっかり新しい組織に溶け込み、「誕生日」、すなわち、ハナの成長をこの新しい世界が認めていく。
いやあ、おばちゃん、びっくりですよ。組織と個人の関係性について、あんなに小さい体で、もう分かっちゃっているんですね。あなたの成長が、ホントに、ホントに楽しみです。
2008年12月22日月曜日
「砂の石」-フィジーで紡いだ物語-2
強烈な光ですべてが真っ白に見えた砂浜の先、透明な波が静かに引く一瞬の、色のトーンが少し濃くなったその場所で、小さな小さなガラス石を見つけた。
目を開けていられないほどの光の中で、ガラス石を空にかざした時、誰かの顔が見えた気がした。
あれは確かに物語だったと思う。海岸に打ち寄せられた砂が芸術の紋様を描き出すように、私の中の心が紡いだ1つの小さな物語だったのだ。
誰だったのだろう、思い出そうとすると頭ががんがんした。知っている顔か知らない顔かそれすら分からなかった。太陽はぎらぎら輝いていて、椰子の葉は海からの風を受けてわさわさと揺れていた。私はポケットにそのガラス石を押し込んでホテルに戻った。
受付で、たった今電話があったと言われた。実家からで、母方の祖母が急死したという伝言が書かれた紙を受け取った。汚く書きなぐられた英語の中にそれを読んだ時、妙な感情が津波のように押し寄せてきた。悲しいという感情ではなかったと思う。小さいときから祖母は私にとても厳しかった。体罰はなかったものの、私の存在そのものがやっかいだと言わんばかりの祖母の気持ちが見て取れて、いつも苦しかった。背筋がすっと伸びていて、着物を粋に着こなし、趣味がガーデニングと俳句作り、季節の折には日本各地から何十枚もの葉書が祖母宛に送られてくるほど交友範囲も広かった。「死」の臭いなんて微塵も感じられなかった。だから、母を通じてもらった、体だけには気をつけなさいという、突き放したように美しく筆で書かれた一言が遺言になるなんて思いもしなかった。
ホテルのロビー前には、私の知らない名前の、赤や黄色の大きな花が植えられてあって、花弁がなまめかしく揺れていた。
部屋に戻る気にもなれず、日本に電話をかけるほどに心も落ち着いていなかったので、来た道を戻るように外へ向かった、はずだった。受付を軸に左右に廊下があり、右へ曲がって少し歩くと、正面に芝生で敷き詰められた庭が見えてくる。この庭はそのまま海岸につながっていて、私はそこから戻ったばかりだった。それなのに、どうして左に曲がったのだろう。
間違えたことにはすぐに気づいた。でも、戻る気にはならなかった。昔からこういう癖があった。どんどん突き進む。不安はすぐに期待に変わる。あの角を曲がると何が見えるのだろうと想像する。
アスファルトの道は夏の光に照らされていた。陽炎がゆらりと空気に揺れていた。せみの声が大きな木の中から聞こえていた。歩く速度が速まる。日傘を差した女の人がこちらに向かってくる。ひらりひらりとフレアスカートの裾が揺れている。いつの記憶だろう。赤い鳥居。ペンキのはげた「氷」の看板が立てかけてある駄菓子屋。森へ続く石の階段。祖母が青い顔で走ってくる。「いつまでも帰ってこないんで心配してたんよ。」ちぇっと舌打ちして祖母を見上げる。日は西のほうに傾いていて、祖母の足から影が長く伸びている。あぁ、祖母の家に泊まっていた時だ。祖母は私が高校生に上がる頃まで1人暮らしをしていた。祖父は戦争中に他界した。乗っていた船が追撃されて、船ごと太平洋の海の底に沈んだ。祖母は祖父の遺体すら返されなかった。それから、女手1つで母を育て上げた。母は父と結婚し、祖母の家を出た。毎年お盆が近づくと、私たち家族は祖母の家を訪れた。
突然影が視界に入ったと思った瞬間、誰かにぶつかった。
「I’m sorry.」
「こちらこそごめんなさいね。」
顔を上げた瞬間、ひゅんと風が鳴った。
「あら、あなた大丈夫?お顔が真っ青よ。」
目の前には祖母が立っていた。ノースリーブの白いワンピースを着て、銀色の髪を後ろで束ねて、うっすら化粧をした祖母が私の顔を覗き込むようにして立っていた。
耳の奥に風の音が鳴り続ける。痛いほどの光がすべてを真っ白にしていく。
「本当に大丈夫?あなた、本当に気分が悪そうよ。」
祖母の後ろから、1人の男の人がすっと現れたところまでは覚えている。NINA RICCIの香水が頭の中を煙りのように充満してゆく。
昔、祖母の誕生日に贈った香水だった。祖母は一度もそれを使わなかったと思っていた。
目が覚めた。
宿泊部屋のベッドで寝ていた。夢だったのだろうか。大きな窓から風が入ってきた。水色のカーテンが大きくうねった。香水の残り香が私の周りを駆け抜けて消えた。その時、ガラスコップを手にした祖母―あまりに祖母に似た老婦人がにっこりと笑って、
「良かった。軽い日射病だって、お医者様がおっしゃっていたわ。日本とは違うんだから気をつけなきゃ。」
と、言った。こうして見ると、祖母とは違う誰かだった。祖母のほうがもう少しアーモンド形の目だったし、顎ももう少し尖っていた気がする。それでも、よく似ていた。私はコップに口を近づけた。透明な液体が私の喉を通り抜けて消えた。
「世の中には自分の分身が3人いるらしいわ。そして、その人に会うと死が近いことを意味しているらしいの。怖いわね。」
私が小学生の頃、祖母が話してくれたことを思い出した。炬燵に入っていて、祖母は編み棒を持つ手を少し休めて、私に蜜柑をむいてくれた。部屋の中はほんのりと暖かくて、私は蜜柑を食べながら、自分に瓜二つの誰かを想像した。気味悪いなと思った。
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして。あんまり海がきれいだったんで、長く居すぎたみたいです。」
祖母に瓜二つの婦人は、本当にきれいよね、ここの海は、と答えた。
あんまりきれいなものだから、いろいろなことを思い出してしまうわ。随分前、初孫が生まれたときのこととか。当の娘よりも私のほうがおろおろして泣いてしまったり。
目を細めて窓の風を受けていた。水色のカーテンがふわりと踊った。
あぁ、なんだ。やっぱりそうかと思った。
あなたはまだ若いから分からないかもしれないけれど、人は死ぬために生きていると思うの。一生懸命食べるために働いて、働くために勉強して、でも、そうすればするほど棺おけが近づくなんて、考えれば妙な話よね。私があなたくらいの年の頃、この世の本はすべて読みきれると思っていた。でも、読むべき本はあまりにも多すぎて、聞くべき話もあまりに多すぎて、そんな知識や経験はただ、言葉の砂となって記憶の海に流れてゆくだけ。なんだか、尼さんみたいな口調だわ。嫌ね、年ね。ごめんなさいね。
波の音が遠くで聞こえる。ガラス石が私のポケットから滑り落ちて、からりと音を立てた。
本当に死にたいこともあったけれど、変だけれど、そう考えると頑張れたのよ。
窓から入る光に少しずつオレンジ色が入ってきていた。
長居してしまったわ。ごめんなさいね。体だけには本当に気をつけてくださいね。これをね、きちんと声に出してあなたに伝えたかったの。これだけが、心残りだったのよ。
あなたときちんと話せて本当によかった。でも、あの人も待っているし、そろそろいかなきゃね。
目が覚めた。
自分の部屋のベッドで寝ていた。
大きな窓から風が入ってきた。すでにその色を失ったカーテンが大きくうねって、香りの強いNINA RICCIの残り香が私の周りを駆け抜けた。その瞬間月の光が差し込み、床に落ちたガラス石を眩しく照らしだした。
私はそれを見て、初めて、祖母の死に声を上げて泣いた。
2008年12月14日日曜日
God Hands- Wasawasaを聴きながら
先日、マッサージのスクールに通っている友人の練習台(笑)として、人生で二度目のマッサージを受けてきました。
一度めはインドで。意味も分からないまま全裸にされ、しかも、タオルとかで隠してくれればいいものを、全裸のまま、よく分からないオイルをぬりたくられて、ゴシゴシ、ゴリゴリとかなりの圧力で「マッサージ」され・・こちらは、恥ずかしいのと、痛いのと、くすぐったいのと、もう、ホントよく分からない不快感で、「OK!! OK!! That's enough!!!」と叫んでいたと思います・・・図的にも相当恥ずかしい・・・。
そんな苦い経験があったものだから、「マッサージ」=「気持ち悪い」という図式が完全にできあがっていて、その友人からのお誘いも、はじめは「う~~ん」と躊躇してしまったのが正直なところ・・。
しかし。 彼女のマッサージは、その「ネガティブ思考」さえ溶かしてしまうほど素晴らしい施術でした。
部屋の温度、湿度、光の明暗、香り、そして聞こえてくる音にもさりげない心遣いがあって、何よりも彼女の手が、なんていえばいいんでしょう、カイロみたいにすごくあったかくて、私の皮膚がなんの「敵対心」-「拒絶反応」もせずに彼女の手を自分の皮膚として受け入れるような感覚がとても気持ちよくて、半分眠りこけていたと思います・・。
そして、これは私もびっくりしたのですが、事務仕事中心の私の上半身はコリにコッていて、毎日背中がバリバリと不快に痛かったのに、そのマッサージを受けた後、その痛みがほぼ消えていたことです。そして今もその痛みは消えたまま・・。
なんで??
そういえば、フィジーに暮らしていたとき、白い煙のようにGod Hands-「神の手」が頻繁にゆらゆらと姿を現していました。
職場でのお茶の時間に、日曜の教会からの帰り道に、バスを待っているときに、あるいは、バスでたまたま隣合せしたおばちゃんの口から。
「誤って熱湯を足にこぼしてしまって、大火傷をしてしまったんだけど、God Handsに手当てをしてもらったら、すっかり良くなったのよ」
にこにこしながら話す同僚に、日本人としての教育を受けてしまっている私は思わず、
「ラスラス~~~!!(うそだ、うそだ~~)」
とからかうと、同僚だけでなく、そばにいたフィジアンたちもわらわらと周りに集まってきて、真顔で、「うそなんかじゃない、俺は、この怪我をGod Handsに治してもらったぞ」と傷口を見せてくれたり、「私の赤ちゃんは高熱をだしたときにGod Handsに熱を下げてもらったのよ」などなど、実体験でもって私にせまってくる始末でした。
どうして、慢性的な背中の不快な痛みが治ったのか、どうして、God Handsがフィジアンの病気や怪我を治していくのか、私にはやっぱり分かりません。
だけど、間違いなく言えるのは、「自分の手」だと効果があんまりないってことと、同じ他者の手でも、病んでいる者に対する、多分、深い「愛」(←セックスの対象の意味ではなくて)を持つ「手」に何かがあるかもしれないってこと。もしかすると、「手」を媒介とする「思い」-「生命のエネルギー」かもしれません。 **********************************************************************************************
人は他者にさわり、さわられていることを必要としている。動物実験でも、人間に対する研究でも、身体的な接触を絶たれた個体は不安になり、適応力が低下し、病気になりやすいという結果がでている。さまざまな文化にわたる研究でも、性的な抑圧や人との身体的接触が絶たれた社会が暴力を生みやすいということが分かっている。(ナチュラルメディスン、アンドルー・ワイル著から抜粋) ********************************************************************************************
2008年11月29日土曜日
「ユタ」~Rasmus Faberを聴きながら
ポルトベールの魔女をようやく読み終わって、ぼんやりと紅茶をすすっていると、なんとなく、あの時なぜ「ユタ」が私を拒んだのか、分かったような気がしてきます。
ユタ。
沖縄での霊媒師のようなものですが、本島のそれと異なる点は(私からみると)、既に死んでいった者たちだけでなく、ここでまだ生きている者たちにも光を与える存在だということ。
ユタに会ってみたい。5年ほど前、そう強く思っていた時期がありました。
宮古島に住む友人にこの話をすると、よく家に来てくれるユタのおばちゃんがいるから、いつでもおいで~~とのこと。
研究生時代にお世話になった琉球大学の先生に挨拶に行く用事もあったので、いい機会だと沖縄本島からさらに宮古島へ飛行機を乗り継いでいくことにしました。
2泊3日。
これだけ時間があれば、大丈夫だろう。
友人もそのユタのおばちゃんに話をしておくと言ってくれているし。
そう、高をくくっていました。
「ごめんっ」
「ん?」
宮古島の飛行場まで迎えに来てくれた友人は私に会うなり謝ってきて、約束していたんだけど、今日から急に沖縄本島に行かなきゃいけない急用ができたらしいと、すまなそうに彼女の不在を伝えてくれました。
「でも、他にユタの知り合いはいるし、電話帳で調べることもできるし、大丈夫だよ」
「そうだね」
私も笑ってそう答えたと思います。
しかし。
別の知り合いのユタも、不在。続いて電話帳か何かで調べたユタなんて、明らかに家の中で暇そうにしているのに、友人が玄関先で声をかけると、忙しい、忙しい、今は見る時間なんてないと門前払いでした。
友人は、相当私を不憫に思ったのか、
「じゃあ、いつなら大丈夫ですか?」
と叫ぶと、こう返事が返ってきたのが私にも聞こえました。
「今日の5時過ぎからだったらね。」
・・・・。私の帰りの飛行機の時間そのものでした。
そのあっきらかな拒絶に、少し、いや、相当イライラしながら、でも、どうして皆してここまで会いたがらないんだろう・・とずっと不思議に思っていました。ユタは求める人たちに光の癒しを与えるんじゃないの?
「ポルトベールの魔女」では、主人公アテナが、そのオカルト的な力を彼女の中心から見つけ出していきます。
踊りの中から彼女の守護神?霊?母神?が憑依してきて、アテナの口を通じて周りの人々の病気や未開拓の潜在能力を言い当て、奇跡を起こします。
その噂を聞いた人々が大勢アテナの周りに集まります。奇跡を見たいという思いで。光の癒しを求めて。
そんな群集にアテナ、あるいは憑依した何かがこう言い放ちます。
「みなさん、もしこの中で、単に本当のことであってほしいと思うこと、例えば、あの人は私を愛してくれてるかどうか、この仕事で大丈夫か、この進路で間違っていないか、などを確かめたくて私のもとを訪れた方がいらっしゃったら、もういらっしゃらないでください。そういう方はダンスをしたり、もっと身体を動かすようにしてください。
みなさんはここに確かな答えを期待してはいけません。昔、未来を予言するために神託に祈りました。しかし、未来は気まぐれです。なぜなら未来は、ここ現在で下される決定によって導かれているからです」
私は、確かに期待していたような気がします。ユタをまるでご神託か占い師のように勘違いし、私のこれからの未来を、それも、輝かしい未来をユタの口から言ってほしいと、確認してほしいと、ずうずうしくも願っていたような気がします。
それにしてもパウロ・コエーリョ。どんどんオカルト路線を突き進んでいる気がします。次作が楽しみでしょうがありません。ブラジル人作家は、ちょっと変な本を書く人が多いかも。ボルヘスもブラジル人じゃなかったかな・・。あ、違った、ブエノスアイレス生まれだった。
そして、私のブログも、日常に潜む光と闇、科学とオカルトをゆらりゆらりと彷徨っていってて、どこへ向かうのか、向かおうとしているのか、なんか、ちょっと。。ちょっと、不安・・。
あ!!「ポルトベール」じゃなくて「ポルトベーロ」だった!!すみません・・
2008年11月22日土曜日
ポルトベールの魔女-パウロ・コエーリョ
「ポルトベールの魔女」を読んでいる途中で、久しぶりに絵を描きたくなりました。
まだ、混沌とした感情の断片しか表れていないけれど、「言葉」でこの感情を断片することなく、敢えて混沌のまま絵を描こうと。
この本の展開の仕方は、玄侑宗久の「リーラ」にとても似ています。
あの本はあまりにエネルギーが外に向かって螺旋を描いていて、もう3年以上も前に一度読んだだけなのに、私の脳みそのひだひだから未だに登場人物がゆらりゆらりと立ち会われてきては私に話しかけてきます。主人公が見た夢までも、私の夢と境なく混ざり合い、記憶は沖縄の畳の部屋に、線香がきつく匂うだろうあの部屋に舞い戻ります。
そして、多分、この本も同じように私の肉体と変わりなく沁みこんでいく予感がします。
2008年11月18日火曜日
富山の五百羅漢の前姿
2008年11月17日月曜日
富山の五百羅漢の後姿
2008年11月15日土曜日
「人はなぜ恋に落ちるのか」~mimaを聴きながら
面白い本を見つけました
人類学者、女性、NZ在住の著者が、「愛」を生み出している感情をさぐるために、 fMRI、すなわち脳内スキャンを使ってその脳内活動を記録して、結果を考察しているものです
「つい最近、激しい恋に落ちた人はいませんか??」
NY州立大学の掲示板にこんなチラシが貼られ、その、「激しい恋」をしている男女の脳内をスキャンする
もう、それを想像するだけで、面白い(笑)
「モラルアニマル」(Robert Wright著)や、「脳が「生きがい」を感じるとき」(Gregory Berns著)に続くヒット作です
でも、なぜ恋に落ちるのか(Why)、落ちたらどうなるのか(How)については進化論やら動物行動学やらも含めて面白い展開を進めているのですが、そもそも「恋」って何だろう(What)については、書かれていないようでした
そもそも「恋」って何だろう
もう、10年以上も昔、そのときとても仲良しだった友人に、真夜中の電話で同じ事を尋ねたことがあります
恋って何なんだろう・・
友人は電話の向こうでしばらく考え、部屋の外では虫の音が聞こえていて、私は電話を持つ手を右から左にかえました
「たとえば」
友人の少しくぐもった声が言葉を紡ぎ始めました
「想像してみて。君は今公園にいる。季節はそうだな~~、緑が水分をたっぷり含んでいる春。天気がよくって、空は透き通っていて、君はベンチで本を読んでいる。ページを一枚、一枚、ゆっくりとめくっていて、ときおり猫が通り過ぎる穏やかな午後の休日
ふと、本から目を離して、あら、と思って右手を宙に浮かべる。穏やかな空気の中に、ほんのりと湿気を含んだ風が君の頬をかすめたような気がしたから。その時、丁度その時、その右手の人差し指に最初の雨粒が一粒落ちるー」
「恋ってこういうことかもしれない。」
私が公園にいることも、ベンチに座っていることも、本を読んでいることも、あらと思って右手を宙に浮かべることも、そこの人差し指に雨粒が落ちていくことも、本当に日常。日常の枠は超えてはいない
だけど。
目線を「私」から空中に飛び、雲の上にまで持っていくと、その瞬間、雨雲をつくって、一番最初の小さな雨粒を私の人差し指に落とすことは、天文学的な偶然の結果起こりえた奇跡かもしれない
日常の隙間に重なっていく偶然と偶然が、互いの脳みそのどこか(本では前頭葉といってますが、私は寧ろもっと原始的な脳幹のような気がします)が発火して恋が始まるー
日常の中のふとした偶然に意味を見出し、そこに物語が見えたときに人は恋に落ちていくのでしょうか
遠藤周作やポールオースターなんかが喜びそうな結論です。
2008年11月12日水曜日
TENDERNESS
2008年11月8日土曜日
「人体の不思議展」の感想-「記憶喪失学」を聴きながら
奇妙な展示会でした。
本物の死体がずらりとならんで、ずらりと並んでるだけでなく、いろんな角度から切り刻まれて展示されていました。
若いカップルや医学生らしき群れや、インテリ風味の紳士や、子供連れのファミリーが、蛍光灯が明るく照らす中で穏やかに、そしてじっくりとそれらを眺めている様子も、やっぱり奇妙でした。
私もその奇妙な集団にすっかり溶け込んで、皮がべらりとはがされて筋肉と内臓だけになった人体や、私の体内にもある女性器がどんな風に下腹部におさまっているのかスライド状になって示されている人体や、顔が水平に3層くらいスライドされている人体や、筋肉が花びらのようにひらりひらりと舞っている人体を、まるで絵画を鑑賞するかのように近づいたり、少し離れたりしながら眺め続け、そして感動のため息なんてついていました。
その一方。
断層された顔の一番上、目や睫毛や鼻腔や唇がついている部位をガラスケースの上からじっとのぞいていると、そこには毛穴が生々しくあって、少しあいた唇の中から数本の前歯が見えていて、そのうちの一本は誰かと殴り合いをしたのか、それともどこかにぶつけたのか、少しだけずれていて、睫毛が長くて、容易に生前の顔が想像できて、顔だけでなく、その性格や人生すらも見えてしまいそうになって、そのうちに奇妙な親近感もわきおこり、そうなると、彼も私たちと同じように目を開けてもいいのに・・とすら思い始めている私もいました。
「彼」の頭のみがそこには展示されていて、しかも水平に3断層に分かれていて、脳みそのしわしわすらも見えているにもかかわらず、です。
「最近、記憶が脳みそだけに存在しているわけじじゃないかもって話あるじゃん」
隣で同じように展示物を見ていた友人の声で我にかえりました。
「女性が心臓移植の手術を受けたらしいんだけど、オペも成功して、無事に退院したらしいのね、でもそれからその人、女の裸の写真とかを見るとムラムラするようになっちゃったらしくって、笑、どうも臓器提供者が「男」だったらしいのよね、笑!!」
女の裸にムラムラとしてしまう可哀相な女性が本当に存在するとしたら、私たちを取り囲むこの展示物たちもそれぞれの「記憶の原型」を秘めているかもしれません。
でも。
その大部分を蓄積しているといわれる脳みそですら、抜け殻になってしまうと、少なくとも単体では、こんな風にころんと転がっているだけで何か重大な意味をもっているとも思えません。
けだるく流れてくる音楽が、煙のようにくすぶりながら部屋の空気をねじまげていきます。
美しい旋律とともに、私の記憶もあやふやになってしまいそうです。
2008年11月3日月曜日
フィジーで紡いだ物語-1
ムシカ
南の島の小さなリゾートで過ごすことを決めて1月が経った。思ったほどに太陽の日差しは私の肌を痛めつけないことが分かってから、もうしばらくここでぼんやりしようと思ったのだ。
この部屋の大きな窓からこれまた大きな椰子の木が見える。夜になると、満ちてはひいてゆく海の音と椰子の葉がかき鳴らす音が重なる。ちゃりんちゃりんと星が落ちてくる音すら聞こえそうな夜を迎えると、どうしてだか、まるで自分が海の底にいるような気持ちになる。一体この感覚は何なのだろうと考えようとする。すると、さっと海岸にうちあげられた様になってしまい、何がなんだか分からないまま眠りに落ちてゆく。そうして、朝になって目が覚める頃には、もう、すっかり真夜中の感覚など忘れている。夢だったのかもしれない。毎晩続く不思議な夢。
夢といえば、今朝に見た夢はあまりにも生々しくて、目が覚めた後もベッドから動くことができなかった。深い記憶が立ち上ってきていて、それが私の体内を煙のようにくすぶり続けていた。だから、しばらくベッドに身を横たえたまま、窓の外の椰子の様子に目を向けていた。風にその葉は揺られ、まるで、何かに向かって手を振っているようにみえた。風のせいなのか、その木は海の方へ奇妙に体をよじらせていた。まっすぐに上に伸びていく体を途中から海の方へ傾けていた。まるで、椰子の木自身が意志を持ってそうしているかのようにみえた。
海が見たかった。しかし、この角度からだと白い砂浜すら見えないので、ようやくベッドから身を起こして、コーヒーをいれた。
嫌な夢。
いつもより濃くいれたコーヒーをすすりながら、窓の外の、時間の流れに沿って色を変え続ける海を眺めた。今は穏やかに深い群青の色をなみなみとたたえている。麻で織られたワンピースに着替えた後、裸足のまま、その椰子の木の下まで歩いてみようかと思った。
足の裏から砂の熱が伝わってくる。サンダルを履いてこなかったことを少し後悔しながら、海の方へたなびくワンピースを右手で押さえ、忍び足をするように踵をあげて椰子が作る影へ向かっていった。あと数歩でたどり着く手前で一度振り返って地球に沿う水平線を見やった。それまでずっと影ばかりを追い続けていたせいか、突然の強烈な光に心地よい眩暈をおぼえた。光は視界中に世界中に広がっていて、思わず目を細めると、きらめく七色の光の束が上から下へ下から上へと飛び交っているように見えた。私の脳みそが捉えた幻覚だったかもしれない。
そして、セセと出会った。
腰かけたその椰子の木の下で流れる汗をハンカチでぬぐっていると、突然空から声がしたのだ。
どうして椰子の木が海に向かっているのか知りたい?
真上の椰子の葉が、ばさばさと音を立てた。右手をかざして上をのぞくと、椰子の葉から光がこぼれ落ちていた。その逆光の影の中に声の主がいた。左手を少し振ってハイと言うと、ちょっと待っててとするりと下りてきた。
セセという名前を持つ体の美しい男の子だった。そうか、筋肉はこんな風に体に現れるのかと、私は不謹慎なほどに、セセの上半身やズボンから伸びた足を見つめた。セセは、少し困ったように笑ってから、横に座っていいかなと言った。
それから2人並んで海が鳴らす音をしばらく聞いていた。セセの気配はまったくなくなっていた。もしかすると私こそが気配をなくしていたのかもしれない。
どうして椰子の木は海へ向かって体をくねらせているのか。考えてみたところで答えなんてでないことは分かっていた。椰子の木が体をくねらす理由なんて、きっと、椰子の木自身も分かっていないのだから。私自身も、私の中で何が起こっていたかなんて、本当に分からなかったのだから。
ふいにセセがもう一度現れた。セセは、私を見ていた。セセの茶色い瞳が私を照らし出した。椰子の葉がわさわさと音をたてた。白い砂の中からヤドカリが出てきたのを目の端で捉えた。
自分の子孫を遠く遠く残すためなんだよ。
セセはそれから海のほうへ視線を投げた。そしてまるで独り言のようにぼそぼそと言葉を紡ぎ始めた。
こんなちっぽけな島だけでなくて、もっと広く子孫を残していくために、自分の実を海に落とそうとするんだ。海が別の世界とリンクしているのを知ってるんだよ、奴らは。だから、あいつらは海の方へ海の方へ体をよじらせるんだ。けなげだろ?知ってるんだよ。すべてを。どうしてだか分かんないけど。
「セセはどうして知っているの?」
あごを膝に乗せて両腕を足首にぐるりとまわした状態で、小さいヤドカリが動く様子を目で追ったままセセの話を聞いていた私は、顔だけをセセの方に向けて尋ねてみた。セセは私をじっと見た。なぜか今度はセセの瞳が深い青色に見えた。まるで、自分が深い深い海の底にいるような気がした。真夜中でのあの感覚を思い出した。
単純な話、椰子は自らの実を海に落として、遠くの国に運んでもらうという伝説がこの島にはあるんだよ。それだけの話。死んだ爺ちゃんが、僕が小さいときに話してくれたんだ。でも・・・・。
「でも?」
本当は島自身がそう願っているのかもしれない。そうやって、伝説は生まれたのかもしれない。もしかすると、僕自身そう思っているのかもしれない。思いたくなんてないけど。
そして、セセは仕事が残っているからと立ち上がった。
私は、立ち上がったときに波打ったセセの背中を眺めてやっぱり美しいと思った。すると、ふいとセセは振り返って、きみもとても美しいよと小さな声で答えた。
波は音を立てて砂を呼ぶ。
そのときに、椰子の木にも呼びかけるのだろうか。ここに海が在ることを知らせるのだろうか。そして、椰子の木はその声のするほうに身をよじらせるのだろうか。自分の子供を海へ託すのだろうか。海へ落ちた椰子の実は、羊水で満ちた胎児のように海を感じるのだろうか。そして、椰子の木だけでなくセセにも呼びかけているのだろうか。それとも、セセが呼びかけているのだろうか。
私の中でも、本当は何かを感じていたのだろうか。見るのでも聴くのでも、ましてや、考えるのでもなく、真夜中の海の底のような世界の沈黙の中で私がそれらの呼吸を感じたように、子宮の中で、心臓の鼓動や血液の流れる音や呼吸の音や細胞がぷちぷちと生まれては死んでいく、そういった振動を感じていたのだろうか。
感じ続けたのだろうか。
今となっては、もう分からない。
波はただ音を立てて砂の色を変える。
椰子の葉はただ、風に揺られて音をかき鳴らす。
私はただ、それらが奏でる音楽、ムシカを聞き続ける。
2008年10月26日日曜日
幽体離脱
(「ゆらぐ脳」(池谷裕二&木村俊介)より)
(池谷さんの公式HP: http://www.gaya.jp/ikegaya.htm)
「幽体離脱体験方法」
Material&Method
ビデオカメラで実験者の背後を撮影して、その映像を3Dで見れるゴーグルを通してリアルタイムで当人に映像を見せる。
↓
1,2分経過後
↓
その人の体を棒でぽんぽんとたたく
すると、あら不思議。身体から魂が抜け出し、背後から自分を眺めているかのような感覚が現れる・・のだそう・・・。
私的:Discussion
実は、私、「幽体離脱」経験者。経験者というか、なんというか、私にとっての幽体離脱は、思春期ほぼ毎夜の日常エンタメでした・・。
もう、ほんと、目を閉じて意識が遠のいたら最後、ふわりと浮かんでしまって、とほほ状態・・。
(なので、三十路を過ぎた今でも「人間は浮かぶことができる」とほぼ「コモン・センス」として認識しています。一歩間違えれば病院行きです・・)
だから、この現象がサイエンス的に認識されたことはなんだかちょっと「認められた感」があって、うれしい気持ちになりました。
日常的に体感していたからこそ言えると思うのですが、私もこの現象は「超常現象」でも「霊的現象」でも、はたまた「宇宙からの呼びかけ」でもない、ということは感じていました。そして、多分、自分の「脳みそ」で何かが行われれている、ということも理解していました。でも今思うと、その理解があったからこそ狂ってしまわずに日常生活を過ごすことができていたんだと思います。
でも。
「私の知る限り、私にしかこの経験がない」という事は、とても私を不安にさせていました。「霊能力」いうより「私の脳みそに欠陥あるいは腫瘍ができている結果こんな現象が起きているんじゃないか??」という類の不安です。
あれは・・なんだったんだろう・・私の魂がぐわりと引っ張られていく、あの独特の感覚を忘れることはできないほどにリアルだったあの現象は、なんだったんだろう。
池谷さん的:Conclusion
(同本より抜粋)
私は、幽体離脱の「能力」が人に備わっているのはごく当然だと考えています。これは、いわば、第三者からの目から自分を客観的に眺める行為だからです。一般に、外部の視点から自分の性格や行動を顧みて、自身を適正に把握する「客観視力」は、自己開発や自己修正、つまり「成長」には不可欠です。そう考えると、幽体離脱は決して奇怪な現象ではなく、むしろ、社会性を獲得するために重要な脳機能の一面ではないかと私には思えてくるのです。
思春期の頃のあり余るエネルギーは自意識過剰として「だだ漏れ」状態だったし、その上、学校の組織にうまく参加することができずにいて、あの頃は毎日、毎日、その小さな世界から抜け出ることを渇望していたような気がします。
その身体からの強い祈りが、もしかすると脳みそを刺激し、せめて魂だけでもと幽体離脱へ促していたとしたら、なんだかやるせないほどに私自身への愛おしさがあふれ、ちょっと泣けてしまいました・・笑。
2008年10月18日土曜日
器
「気」とは何だと思いますか?」
と尋ねています。
「内外ともにコミュニケーションを成り立たせているエネルギーの動きだと思います」
と玄侑さんは答え、その理由をつらつらと話されているのですが、私はふんふんと字面を目で追いながら、昔、東工大の学生だった友人が研究室の教授から聞いたという話をぼんやりと思い出していました。
「君たち一人一人は別の個体、別の個性であるのと同時に、地球エネルギーの循環の一員でもある。それはフィジカルな意味においても、もしかするとメンタルな意味においても。」
気づくと、薄暗いバスの中で、勢いよく流れ込む冷たい風を受けていました。海に落ちて消えた太陽の周辺には、ゆらゆらと淡い紅の残像が揺れていて、少しずつ闇の気配がしてたような気がします。いえ、もう、辺りはすっかり暗くなっていたかもしれません。
とにかく、その日はとても疲れていて、勢いよく走るバスの中、後部座席の一番奥のほうに身を小さくして眠ろうとしていました。大きく揺れるたびにハッとして目が覚め、そのたびに、黒く浮かぶ椰子の葉が窓の外を流れていくのをぼんやりと眺めていました。その向こうには恐ろしいほどに黒く光る海が静かに波をたたせていました。
バスの中にはひとつだけ運転席の横に裸電球がつるされてあって、やっと周りがみえる程度でした。乗客数は数えるほどしかいなく、エンジンの音だけが轟々と響いていました。
なんとはなしに、一番前の座席に並んで座っているフィジアン女性の2人がなにやらボソボソと会話を始めたのが目にとまりました。
彼女らの額の双方から淡くてほんのりと赤い、まるで夕日の残像のような光があふれていて、私は、眠りに落ちながら、ああ、なるほどね、と妙に納得していたような気がします。
本の中では、科学者である有田さんが、腑に落ちない感じで玄侑さんに尋ねています。
「先ほど、【エネルギー】といわれたけれどもコミュニケーションするときにまず重要なのはまず言葉というツールですよね?さらに五感を総動員させるわけでしょ」
「そうですね。ただ、情報として感知するのは、五感以前の器官だろうという気がします。もっと原始的で直接的な形のもの・・。脳でいえば、もっとも原始的な場所、脳幹部にその中心があるような交流というんでしょうかね」
その言葉を受けて、有田さんが閃いたように言葉を繋ぎます。
「実は、セロトニン神経の細胞は脳幹にあるんですよ」
2008年10月9日木曜日
煌々
昔、誰だったか、夏の夜に降りしきる雨の中、その白い絹雨を落とす分厚い雲の頭上には煌々と輝く月が在るといってました。
光は見えなくても、月は在ると。
もう、3年以上も前。私は南の島に住んでいました。
21世紀だというのに、その島にはたくさんの神話や不思議な話が生きていて、時々、話す言葉から白い煙のように浮き出ることもありました。
今夜、なぜか、ウズ、という名前の、まつげの長い女性から聞いた話が思い出されます。
「この島には、不思議な池があって、見るたびに色が変わるの。ある日は海のような青、あるときは血のような赤色、森のような緑のときも、透明なときもあるの。私も何度もみた。色が変わるのを何度も見た。昔、気味悪がった村の長が、池の水を全部汲み取ったこともあるらしいの。一滴残らず。でも、雨も降っていないのに、翌朝にはコンコンと水をたたえていたそうよ。地下水もないはずなんだけどね・・。地下水があれば、こんな水不足はないはずなんだけど・・。その池だけは枯渇しないの。
信じられないでしょう?私も、実際に見るまでは信じられなかった・・」
すべてが真っ白に見えるほどに、言葉すら蒸発してしまいそうなほどに強烈な光がふりそそぐ中で聞くその話は、もうそれだけで本当のことのような気がしていました。
でも、実際に、森を分け入って、その、不思議な池まで連れて行ってくれましが、私にはただの緑色に淀んだ沼にしか見えませんでした。
次の日も、その次の日も見に行きましたが、やっぱり、ただの沼でした。
「普通じゃん、ね~~・・」
そう思って、池に背を向けようとした、そのとき、頭上で鳥の鳴き声と共にバサバサという音がして、数枚の葉っぱがひらひらと揺れながら池の中央に落ちてきました。あ、と声にだそうとしたその瞬間、一筋の光が差し込み、白い埃がその筋の中に浮かび上がり、池に浮かんで揺れる葉っぱを白く照らしだし、私はというと、ただ呆然とその光をみつめていました。
どうしてだかわからないけれど、そのとき煌々と光る何かが確かに見えたような気がしたのです。
2008年10月4日土曜日
「食」について
だからといって、肉一切食べないとか、マクロビオティックとか、ましてはバナナしか食べないとか、そんなことはなく、外食もするし、ジャンクも好きだし、特にモスは月に一回はどうしようもない欲望にかられてバーガーセットを頼んでしまったりもする。
ただ、私、畜産科をでているので、普通の人より、ちょっと、日本とかアメリカとかの畜産状況を知ってしまっていて、正直、今の畜産システムだったら、あんま食べたくないな~ってのが正直なところ。
ちょっと前までBSEとか話題になったけど。・・・私たちの間では、あんまり驚かなかった。あ~~表面化しちゃったね~~てな感覚だった。
だって、牛の生態とか、生き様ってか、そんなの完璧無視した「工業化」が主流なんですもん。
反芻家畜って、草でしょ?食べるのは。だから、草だけ食べても生きていけるように、体もそうなってる。
お腹の中の微生物と共存して、うまくやってる。(詳しくは次回、気が向いたら書きます)
でも。
今の日本は、粗飼料(草とか)と濃厚飼料(それ以外のカロリーとか高いやつ)の割合が3:7って話。(今はもっとひどいかも・・)
そういえば、今の日本の食卓もそうかも。ごはん(穀物)とか野菜とか食べないで、肉とかカロリー高いやつばっか食ってるのと同じかも。もしかすると、無意識でシンクロしてるかも・・。 そっちのほうが体にいい、ダイエットになる、etcとかいう迷信で。
牛に話を戻すと、その上、「肉質が柔らかくなる」っていう理由で、生きてるうちに、わざと、ビタミンAを抜いた栄養状態にしちゃう。
それから、これは特に豚とか鳥に多いんだけど、ぎゅうぎゅう詰めで飼育しているもんだから、病気でもなんでもないのに、抗生剤投与されまくっている。。大量感染することを恐れて。
で、ほとんど目が見えなくなった状態の肥満牛(肥育牛)が薬剤濃縮状態で市場へ売られていく。
はっきり言って、食べたくないですよ。
だから、食べない。
でも、別に人に「食べるな」とも言わない。
だって、「食」って、人格までも左右するほど、本当に根っこの根っこのその人の「基盤」だと思うからだ。
自分の意思でもって、体っていう「もう一個の世界」に、それこそ言葉どおり「Intake」できる唯一のものだと思うからだ。
だから指図も指示もできないし、ぶっちゃげ、「食」でもって他者をコントロールすることすら、ある意味ではできると思う。
でも。
反対からみてみたら、「食」を意識して取り入れることで、その、「もう一つの世界」も自由自在に変えれるし、それは、「生まれ変わる」ってことにもつながると思う。
もし。
何かあって、自分って世界を変えたいって強く願ったとき、食べるってこと、食らうってことに強く意識を向けるのもいいかもしれない。
世界は変わっていくのかもしれない。
2008年9月28日日曜日
会話をする植物たち-木
「代々木公園の木々が夜中になると互いに会話をする」
昔、何かの学術誌で読んだ記事。
「ある一本の木が危険にさらされると(木が倒される、傷つけられる、燃やされるetc.)、その木は特定の電波を発して、周りの木々にその危険を知らせる」
その記事を読む前に、私は奇妙な体験をしたことがある。
愛車、VINOで大学へ向かっていた。体調は良好、ストレスもなく楽しい日々を過ごしていた。車も少なく、私はいつものように赤いゴーグルをつけ、鼻歌を唄っていたと思う。目の前の信号が赤になったので、停車をし、なんとはなしにその信号を眺めていた。
すると突然、本当に突然だった。意味のわからない感情がやってきて、私を捉え、どうしようもなくさめざめと泣けてきたのだ。
意味のわからないまま信号は青になった。
私は、涙を流しながら、大学へ向かった。
右目の端っこで、土地開拓のためにブルトーザーが木々をなぎ倒していたのを捉えたが、走る間に流れて消えた。
あの感情は一体なんだったんだろうか。
そして、以下は科学的に立証されている話。
「例えば、森の中に生えている一本の木に虫がついたとする。すると、虫につかれた木以外、特に同種の木は、ある種の情報を受けてたんぱく質の組成を変えるという研究結果がでている。つまり、一本の木が、自身に起こっていることを森の他の木々にInformaitonするようなのである」
真夜中、新宿のど真ん中で、今も木々たちはひそやかに会話をしているのだろうか。
ゆるやかに枝をしならせ、黒く緑を浮かせながら。
ホントは性格の悪い植物たち-その1
しかし。
植物生態学の観点から牧草研究をしていた私は、奴らにボコボコにされていた・・されっぱなしだった・・。
・・・・・あいつらほどダークなやつらはいない・・・私は断言します。
集団いじめは日常茶飯事。(自分でつくった)毒でもって、殺人(殺草)もへっちゃら。しかし、特にイマイマしかった草、それは
カヤツリ草(Nut grass)
(涙声で)、あいつら、熱帯地方のくっそ暑い中、そこらじゅうにはびこって、牧草に覆いかぶさる勢いで育ちやがるんですよ・・・。牧草研究していた私としては、雑草駆除をやんなきゃいけなかったわけで、しかも、除草剤や防虫剤を使わずにやりたかったから、あなた、手作業の駆除ですよ、手作業。しかも、あいつら、上の葉を取るだけだとすぐに又生えやがるんですよ。根っこのところに、クルミのような塊があって、それが栄養分となってすぐに根をだす、葉をだす。しかも、しかも、葉っぱもなんだかツルンとしていて、よくわかんないんだけど、なんか、強そうで・・食べても硬くてまずそうで。(牛ヤギもホントこの草食べない・・)
しかし、それはもうホント、私からの観点だ。
植物は食う、食われるの世界の中で、圧倒的に食われる側に属する。食うのはホント少数派。食われる前に、なんとかして、逃げるor増やすor敵を殺してしまうのは、自然の摂理だ。
そんな彼らが、クリーン、な、ワケがない。あっぱれなほどにダークで賢くて、みていてほれぼれするほどに美しい。
次は、植物は動くことができない、という通説、
あれ、ウソですよ
2008年9月27日土曜日
幸運の定義
(↑タイトルをクリックすると「高千穂のHP」へ飛んでいけます)
~今年は南西方位がいいらしい~
誰が、いつ、どんな風に決めたのか知らないが、方位学によると、とにかく今年は南西がいいらしい。
別にこれに深く影響を受けたわけじゃないけれど、とりあえず私の場合実家が宮崎なもんで、まあこれ幸いと帰省することにした。
帰省ついでに、長らく会っていなかった九州の友達にも連絡して、高千穂で夜神楽でも見ようということになった。
旅行スケジュールに華が咲く。しかも。
大吉方位
期待は膨らむ。
さらに!この幸運を強めるためには源泉の温泉に入るといいらしい。
何で温泉なのか、しかも源泉限定なのか、これまたちっとも分からないけど、とにかく、大吉な上に温泉に入れば幸運までもれなくついてくるらしい。
期待は相当膨らむ。
さて。一方、帰省する前日までは吐き気がするほど仕事、仕事で、旅行のための服を買いに行くことはおろか、荷造りすらできない過密スケジュールで、ほんと、鼻血がでるほどだった。
その上、台風13号が九州を通過し関東に近づいていた。前夜は関東は嵐だった、らしい(爆睡してたので知りませんが)
欠航が続く。
南西方位に行くも何も、飛行機飛ばなきゃ意味がない。
家族からも、高千穂で会う友人からも「大丈夫?」というメルが入ってくる。期待がほぼゼロ地点までしぼむ。
そしたら、あなた。
当日の朝。目が覚めると空は雲ひとつない澄み切った青空。しかも、遅れて当たり前のSNAまでが定刻に羽田を出航した。唖然としたまま宮崎に到着すれば、今度は電車までががすんなりと北の延岡まで走る。
高千穂は高千穂で、待ち合わせの午後、ゲリラ雷雨に襲われ、このままじゃあ、バスの運行が難しいんじゃ??極限まで不安に陥れといて、いざ出発の時間になると晴れ渡った青空が広がった。
温泉も、別に行く気はなかったのだが、ってか忘れてたんだけど。高千穂を一日かけて歩いて、歩いて、その日はまあ、よく晴れて、9月末の山奥のはずなのに、暑くて、暑くて、汗ぐっしょりで、温泉でも入って疲れを流そうということで、たまたま教えてもらった温泉に入ったのが。
知ってます??昼の日中にスッパで外(露天風呂)で大の字で湯船につかって青空を眺めることの快感。ほんと、快感でしたよ。
こうして振り返ってみると、ある意味幸運にあやかっていたのだと思う。そして、私流幸運の定義も見えてきた。
幸運の定義:「一旦最悪のポジションに落とし込んでから標準に戻る」 (最初落ちて、戻る)
ついでに、じゃあ、不幸の定義ななんだろうと考えてみた。
不幸の定義:「一旦最高のポジションに舞い上がってから標準に戻る」 (最初上がって、落ちる)
2008年9月16日火曜日
微生物からみる集団心理
堆肥の試験のためにヤギのウンコに手をつっこみつつしばし考える。
N/C比をきっかり計った堆肥はみるみる温度上昇してて、軽く湯気までたっていて、中は程よくあったかいってか、ちょっとアツイ・・。窒素入れすぎたっけ・・。
この温度上昇の原因はウンコの中にウヨウヨいる微生物のリレー的反応だけれど、それぞれの微生物がうんこと一緒に混ぜた窒素や炭素を分解して、そのときに発生するエネルギーが熱となって、その熱が、理想的には78℃(だったかな?)くらいにまで上昇させる。
・・・余談だけど、どうしてヤギのウンコってあんなにポロポロ丸いんだろう・・。
手をつっこんだまま、しばし考える・・。
鹿のウンコもそうだけど。ってか中型反芻家畜はそうだけど。
あれって、あの丸っていつできるんだろう・・。
1.腸ですでにできあがってる
2.ヤギがウンコするときに、肛門のところで(かなり)細かいフルフル振動をいわせて排出
・・・。
それはさておき。
この円滑な温度上昇のためには円滑な微生物のリレーがマストなんだけれど、微生物の中にもいわゆる「善玉」と「悪玉」がいる。
「悪玉」だらけになると、鼻が曲がるほどの悪臭を放ち、病原菌が蔓延する。当然、堆肥としての価値ゼロ。
だからといって「善玉」だけになる現象は、少なくとも自然界においては存在しない。で、その割合大体2-3割。
善玉:2-3割 悪玉:ちょっと
で、その他大勢が「日和見菌」としてただそこに存在するらしい。
で、この日和見菌とやらが曲者で、善玉が優勢になると「善玉」っぽくなり、悪玉優勢になると「悪玉」になる傾向があり、しかも、「悪玉」になりたがり「日和見菌」の方が多いらしい・・。
この話を小学校で教鞭をとる友人に話をすると、
「まるで、教室で起こることそのままじゃん・・・」
今はどうだか知らないけれど、誰でもかれでもEM菌っていう風潮があった。
例えば。EM菌をすこぶる優秀で、しかも、(土着の菌じゃないから)おしゃれな都会から来た転校生と仮定してみて、その子が例えばそうね~~九州の田舎の中学校に転校してきたと仮定する。と、その後の展開はすんごく明らかな気がする・・。
その子が相当な美人じゃない限り、いや、美人であればなおさらかもしれない・・
ボコボコにいじめられて排除される確立相当高いと思う。
そういう意味で、わざわざお金出してEM菌を取り入れる必要性ってあるのかな~って思う。
PS: ヤギのウンコは腸で作られるそうです。
2008年9月15日月曜日
「がちんこ農業生活」を読んで
これは、ブログ、「フリョウ ノウミン」
の書籍版。と、いうか、作者、ソガッチが日々の農業生活において感じる理不尽とかそういうエクトプラズムみたいな思いをここぞとばかりに綴ったものだなと思う。
内容としては、主に4階層に分かれていて、
1.Businessとしての農業
2.ソガッチの農業を背景とした青春ストーリー
3.日本、そして、多分、主な先進国の都市部で現在に起こっている食糧問題
4.食育とこれからの農業
多分、後半に行くにつれて、キーボードを打つタイプ音が激しくなっていったんじゃなかろうか・・・?
ソガッチの文章に同調しながら、3年前の、フィジーで、ホント、キレまくりながら、いわゆる「持続的な家畜生産向上」に向けて研究をしていた頃の感情が生々しく脳みそのひだひだから立ち昇ってきた。
持続的に開発をし続けていくためには、きれい事ではなく、環境に配慮した開発が何気に近道で、その為に、
1.牧草の選定試験(その土地、その土地に合った適正牧草をみつける)
2.放牧試験(適度な放牧圧が、実は、牛生産にも牧草にもいいのです!)
3.堆肥試験(ヤギのウンコで哲学しました)
と、草-牛-土 がじゅんぐり、そして若干回転早くすることがすべてにとってWin-Win効果をもたらす!
ということを、FAOやJICAや日本の大学機関や、フィジー政府まで巻き込んでやったな~~・・ということをニヤニヤしながら思い出した。
秋には大学で教鞭をとる友達と、生徒さんをAudienceにガチンコプレゼンをしあう予定になってる。
超楽しみ。