2008年10月18日土曜日

「禅と脳」(玄侑宗久、有田秀穂)という本の中で、脳神経学者でセロトニン神経に着目している有田さんが、禅僧の玄侑さんに、
「気」とは何だと思いますか?」
と尋ねています。
「内外ともにコミュニケーションを成り立たせているエネルギーの動きだと思います」
と玄侑さんは答え、その理由をつらつらと話されているのですが、私はふんふんと字面を目で追いながら、昔、東工大の学生だった友人が研究室の教授から聞いたという話をぼんやりと思い出していました。

「君たち一人一人は別の個体、別の個性であるのと同時に、地球エネルギーの循環の一員でもある。それはフィジカルな意味においても、もしかするとメンタルな意味においても。」

気づくと、薄暗いバスの中で、勢いよく流れ込む冷たい風を受けていました。海に落ちて消えた太陽の周辺には、ゆらゆらと淡い紅の残像が揺れていて、少しずつ闇の気配がしてたような気がします。いえ、もう、辺りはすっかり暗くなっていたかもしれません。

とにかく、その日はとても疲れていて、勢いよく走るバスの中、後部座席の一番奥のほうに身を小さくして眠ろうとしていました。大きく揺れるたびにハッとして目が覚め、そのたびに、黒く浮かぶ椰子の葉が窓の外を流れていくのをぼんやりと眺めていました。その向こうには恐ろしいほどに黒く光る海が静かに波をたたせていました。

バスの中にはひとつだけ運転席の横に裸電球がつるされてあって、やっと周りがみえる程度でした。乗客数は数えるほどしかいなく、エンジンの音だけが轟々と響いていました。

なんとはなしに、一番前の座席に並んで座っているフィジアン女性の2人がなにやらボソボソと会話を始めたのが目にとまりました。
彼女らの額の双方から淡くてほんのりと赤い、まるで夕日の残像のような光があふれていて、私は、眠りに落ちながら、ああ、なるほどね、と妙に納得していたような気がします。

本の中では、科学者である有田さんが、腑に落ちない感じで玄侑さんに尋ねています。
「先ほど、【エネルギー】といわれたけれどもコミュニケーションするときにまず重要なのはまず言葉というツールですよね?さらに五感を総動員させるわけでしょ」

「そうですね。ただ、情報として感知するのは、五感以前の器官だろうという気がします。もっと原始的で直接的な形のもの・・。脳でいえば、もっとも原始的な場所、脳幹部にその中心があるような交流というんでしょうかね」

その言葉を受けて、有田さんが閃いたように言葉を繋ぎます。

「実は、セロトニン神経の細胞は脳幹にあるんですよ」

0 件のコメント: