2011年9月19日月曜日

童話–支援するもの、されるもの

まだ、そう遠くはない昔、平和に暮らす村々がありました。
海に近いその村では、海からの恵みをたくさん受けて、それはそれは幸せに暮らしていました。

長い長い冬もようやく薄らぎ、春の兆しが少しずつみえてきたある日のことです。

いつものように、美味しいお昼ご飯をいただいた後、お父さんは港に戻り、お母さんは、夜の献立は何にしようかしらと考えていて、子供たちは、学校で卒業式に唄う歌の練習をしていたその時でした。

大きくて、長い、長い、地震があったのは。
そうして、その後、悪夢のような津波が襲ったのは。

学校の近くを流れる川が、底が見えてしまう程大きくひいていく様子をみて、先生たちは、顔が真っ青になりました。足ががくがくと震えました。

平和だった村々は、みるみるうちに黒い悪魔のような水にのみこまれてしまったのです。

この姿はテレパシーのような速さで、村々を超え、世界中に伝わりました。

世界中の人々は、この、突然牙を剥いた自然の姿に、残酷にのみこまれる村々の姿に、天を仰いで涙を流し、まるで自身がのみこまれてしまったかのようにとても苦しい気持ちになりました。涙ばかりが溢れて止まらなくなったのです。

夢と現の区別がつかなくなり、そうして、いつも心臓がどきどきするようになりました。

一方、のみこまれてしまった村々では、長い長い夜が明けた後、生き残った人々もたくさんいることが分かりました。

生き残った人々は、すべてが流されてしまった村の姿に呆然としましたが、残された力を振り絞って立ち上がりました。

もう一度、平和で美しい村を取り戻そうと。

大人たちは、ガレキをひとつずつ取り除き、子供たちは、ぐちゃぐちゃになってしまった教室で、早速かくれんぼを始めました。
笑いながら転げ回る子犬のような子供たちの姿をみて、大人たちも少しずつ元気を取り戻していきました。

そんな中、世界中からたくさんの「支援」が届きました。はじめは、毛布や水や食べ物など生き延びるために必要なもの、それから、子供たちへのランドセルやぬいぐるみなども届くようになりました。

はじめ、村の人々は単純に「ありがたいなあ、助かるなあ」と感謝していました。子供たちは「ありがとう」と届けてくれた人々へお礼の手紙をしたためました。

けれど、そのうちに妙なことに気づくようになりました。

まだ、舗装されていないぐちゃぐちゃの道を長い時間をかけて届けにくる人たちは、全員、とっても苦しそうなのです。

苦しそうに、ありったけのモノを担いでやってくるのです。

そうして、「ありがとう」と村の人々が受け取ると、ぱっと日が差したように笑顔になり、「こちらこそ、受け取ってくれてありがとうございます」と答えて、とてもうれしそうに帰ってゆくのです。

その幸せそうな後ろ姿を眺めていた村人の一人がつぶやきました。

「彼らも、ある意味、津波にあったんだろうなあ。心がずぶんと沈んでしまったんだろうなあ。そうして、俺たちにモノを届けることで、俺たちが受け取ることで、彼らの心の傷が癒されていくのかもしれないなあ。そういう意味じゃ、俺たちも彼らを『支援』しているのかもしれないなあ」

まだ、遠くはない、半年前から今にいたるまで、そうして、これからも。

気仙沼では、日本中から、世界中からの『思い』をひたすら受けているそうです。

自治体の機能すら失われてしまった中で、それでも新たな津波のように日本中から世界中から物資やメッセージが届き、「何度『ありがとう』を言えばいいのか」と疲れ果てるなか、気仙沼の一部では、「私たちが『ありがとう』と受け取ることで癒される方々がいらっしゃる」とひたすら受け取っているそうです。

支援の意味、思いやりの意味。

日々かみしめていきたいと、本当に思います。

2011年8月30日火曜日

マッツ先生恐るべし

背中の痛みがまた始まってしまいました…。

特に最近は左膝の痛み、関節が少しずれているような、いやな違和感、それに、今度は左肘の鈍い痛みに加え、ちょっとしたものを持ち上げるだけでも左腕がぴしりと痛むようになったのです。

しばらくは、気のせい、気のせいと気を紛らわしていたのですが、さすがにつらい。

と、いうわけで、ひさびさにマッツ先生の助けを借りることにしました。
(マッツ先生については、「まつはし整骨院」へ)

「お久しぶりです〜」
 ドアを少し開いて挨拶すると、変わらないスキンヘッドであったかく迎えてくれたマッツ先生。

「今日はどうされましたか?」

「なんか、震災疲れかもしれないんですが、最近また背中の痛みがはじまってしまって…」

と、マッツ先生に向かって言葉を紡ぐその先から、もうすでに背中の痛みはなくなっていたので(笑)、以前来たときみたいに、もう症状は消えているんですけどねと言葉を付け加えなければなりませんでした。
(前回のマッツ先生の施術についてはこちらを参照→「潜在意識を持たせたモン勝ち(笑)」(マッツdeRから))

「ちょっと私を向いて軽く足踏みしてもらっていいですか?」

言われるがままその場で手をふりながら足踏みをしてみせると、ふんふんとその様子をみて、おもむろに左手首を軽くつまみあげるようなことをして、それから、右手首もしたかな?そこらへんよく覚えていませんが、とにかく、また、痛みの症状がでている場所とはまったく異なる部位をちょいちょいと触るだけ(笑)

「はい、も一回足踏みしてもらっていいですか?どうですか?」

「ありゃ??左膝の違和感もなくなってる…」

施術を始めてわずか、2分のできごとでした(笑)

さすがにそれだけだとアレだよねと、その後もじっくりカラダの調節をしてくれました。

いつものように「一体ナニをしたんですか?」と尋ねると

「見た感じ、胸郭のうごきがにぶっていたみたいなんで、そこをちょこっと調整しました。でも、最初にきたときに比べたらカラダの流れはずっといいですよ、だから、ちょっとした施術ですぐに痛みも治るんだと思いますよ」

やっぱり、おそるべし、マッツ先生。

マイアヒラサワに会いにいってきました

先週末の日曜日の夜、地下にある小さなカフェ、「モーツアルト」でマイアヒラサワのライブがありました。

今、思い返すと、偶然と偶然が織りなす魔法の世界に迷い込んでしまったかのような、手にとったグラスも、腰かけた椅子も、ふわりと消えてしまうような、なんだか夢のようなライブでした。



2011年8月27日土曜日

明日マイアヒラサワに会いにいきます

友人に、感動するよと教えてもらった『九州新幹線』のCMにかかっていた曲。
(詳しくは、「レンスウチョウ:祝!九州新幹線全線開通CM」へ)

一体誰が唄っているんだろうと気にはなってました。

 そんなある日、会社ですれ違った同僚から、
「そういえばmimaさんって、九州新幹線のCM気に入ってましたよね?」
とふいに尋ねられたのです。
なんだか条件反射のように、「うん」と答えると、
「実は、そのCMで唄っていたヒトが仙台に来るんですよ。今から予約しようと思っているんですけど、よかったら旦那さんの分と一緒に予約しておきましょうか?」
 と。

スケジュールの確認もしないまま、これまた条件反射のようにお願いと答え、ようやくその後に、で、その人って何て名前なんだろうと思ったほど、私はまったくマイアヒラサワのことを知りませんでした。

ただ、あのCMと彼女の声と唄があまりにも合っていて、九州新幹線のことなのに、まるで、今の東北のことも応援してくれているかのようで、楽しくて、そして涙もでて、そうして自然に口からこぼれるほど、踊ってしまいたくなるほど、私のカラダに溶け込んでいたので、うれしくてうれしくて、早速相方さんにライブのことを伝えたのです。

それから、彼女が 日本人とスウェーデン人とのハーフだということや、仙台にも住んだことがあるということなど、少しずつ知っていきました。

そして、1年くらい前、宮城の丸森と石巻というところで、実は相方さんは 彼女と会っていたということも知りました。相方さんはびっくりしながらも、丸森では蚕をみたり、石巻では海苔の養殖についての話を聞いたりしたんだよと教えてくれました。
(詳しくは、「写真ですか?はい、好きです」へ)

そのツアーは、仙台以外の宮城について、しかも、土や海のにおいがプンプンする一次産業や土着で伝わる民話(しかも話す人の方言がきつくて、日本人でもほとんど理解できない、笑)などを体感する、ある意味ちょっとマニアックなものでした。

 日本人からの参加者も少ない中、宮城の、土や、海や、その土地にずっと住み続けている人々の暮らしや文化にも目を向けていたんだなと思うと、なんだかすごくありがたくて、そうして、涙がこぼれそうになりました。

明日。

マイアヒラサワのライブに行ってきます。

2011年6月4日土曜日

原発避難区域の家畜の行く末

涙が流れて止まりません。

玄侑宗久さんの公式サイト

人間さえ助かればいいんでしょうか。

福島のペットたち

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( 福島の猫シェルターでボランティアをするにいたったいきさつなど書かれています)

 (福島県田村市にあるシェルターで活動されている団体さんの活動ブログです)

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