2008年12月31日水曜日

Have a Wonderful Holiday and Happy New Year


この小さなブログには書ききれないほど、今年も沢山の素敵な人、風景、音楽、映画、本、写真などに出会うことができました。

「起きていることはすべて正しい」
勝間和代さんの言葉はその通りだと思います。

今、私の目の前にある出来事から目をそらさずに、だからといって無理なんかせずに、来年も毎日を素敵に過ごしていけたらと思います。

そして、
今年の秋にふと思い立って始めた、小さな、小さな私のブログに訪問してくださった方、本当にありがとう。
皆様にも、素晴らしい時間と出会いが、音なく降ってくる真っ白な雪のように来年も降り続いていくことを心よりお祈りします。

良いお年をお迎えください。

mi-ma

2008年12月30日火曜日

地に足ついた?ってか、ちょっと下品な言語講座-その1

いわゆる日本教科書的英語を中学1年生から大学2年生くらいまで習っていた私。

いわゆる、宙に浮かんだ英会話しかできなかった私。

「私はmi-maです。私、オスシ、好きです。あなた、何好きですか?」くらいのレベルでよくもまあ、海外に単独で行ったり、フィジーで3年間も生活することができたなあと思います・・。

でも、だからこそ、言葉の違いに意識レベルで気づくことが、できる。

例えば、NYに何年だ??思春期に10年以上住んでて、ネイティブ並みに英語ベラベラの友人との会話。

(アメリカ?のアニメの中で、雄牛がダダダ~~って画面中央まで走ってきて、そこで、ぶぶぶ~~っと「うん〇」をし、その「物」に「bullshit」という看板をブスっと突き立て、又、ダダダ~って走って去っていくという場面を見た後)

友人:「このbullshitの意味分かる??」
私  :「ん??そのまんま、bull=「雄牛」、shit=「汚物」って意味じゃないの?」
友人:「まあ、それもあるんだけど、日常会話でその意味でのbullshitは殆ど使われないのよね~~。畜産業者じゃあるまいし」
私  :「・・確かに。じゃあ、shit=「くそったれ」っていうスラングの強調語?」
友人:「う~~ん・・。微妙にはずれ」

実際にウシの「物」
を見たことある人でしたら想像つくかもしれませんが、あれ、ホント、ほっかりしていて、べっとりしていて、なんか、堆肥とか生産的なものにすらなりそうもないし、しかも、気づかずに踏んでしまったときとか、ホント、悲しいというか、踏んでしまった自分が情けないっていうか、なんか、やるせない気分とかなるじゃないですか・・。
・・多分、そういう気持ちが反映されるのか、

bullshit=「つまんね~~こと、屁にもなんね~~こと、クソマジメで情けない人、派生して、うそっぱち、でまかせ」

という感じのスラングなんだそうです。
友人曰く、例えば、

What he talks about is nothing but a bullshit
「あのおっさんはへにもならないことばかり言う→つまんね~~ことばっかり言うオヤジだよ」

とか、

I won a jackpot at LasVagas!!
「ラスベガスでがっつり儲けちゃったんだよね~~」 

That's bullshit!!
「うそつけ!! 」

ってカンジでつっこみをいれたりするみたいです。

それにしても、日本語もそうですけど、うまくいかないとき、思わず「くっそ~~!!」とか無意識に吐いてますけど、あれ・・「糞」・・・なんですよね

なんか、私たちって国籍超えて「うん
」好き・・・??ちょっと親近感??
ちなみに、フィジーでは、そういうとき、「マンガイチナナ!!」って叫んでいました・・。
これも、相当お下品で・・・又次回にお書きします・・。でもうん
じゃない・・。

あ!!!この単語、相当、お下品な言葉です!!私たちも突然、海外の人に「クソ~~」ってニコニコ笑いながら話しかけられると、とてもびっくりしてしまうように、逆も又然りです。
くれぐれもTPOをわきまえた言葉を使用されますことを願ってやみません・・。

2008年12月23日火曜日

ハナともだちつくる

今日、妹からクリスマスプレゼントが届きました。きゃいきゃいしながら、ネックレスやら、小物やら、キラキラ光るそれらを袋から取り出していると、一番奥に小さな絵本も入っていることに気づきました。
今年小学校に入学した姪っ子からの手作り絵本です。
A4の紙を4等分してホッチキスで止めただけのものに、左ページが文章、右ページが絵ときちんと分かれていて、文章の部分なんて、丁寧に定規で線が引かれて、その行間に鉛筆で物語が展開されています。

そして、この物語があんまりにもよかったので、叔母バカだと言われようとなんだろうと、ここに投稿しちゃいます!!

注)文章はそのままですので、途中若干読みづらい箇所があるかもしれません。前後で想像して読み進めてくれるとうれしいです、笑

「タイトル:ハナともだちつくる」

きょうははじめてのようちえん。ハナは、ようちえんにいくのが、うれしくてたまりません。「ともだちできるかな。」「できるわよ。」「はやくいきたいなようちえん。」

「あっバスきたわよ。」「ほんとだ。いってきマース」と、ハナはそういってようちえんにいきました。「ともだちできるかしら。」ママはそういって、いえのなかにはいっていきました。

ようちえんにつくと、おえかきのじかんでした。ハナは、うさぎをかきました。すると「へん」と、ひろ・スーくんがいいました。でもハナはがまんしてました。

つぎはきゅうしょくです。ハナはにんじんがきらいで、のこしてしまいました。そしたら、「いっけナーイ」といわれました。でもがまんしました。

おひるねのじかんがきました。ひろとくんは、ねぞうがわるいのでけられたりたたかれたりしました。

おやつのじかんはミルクとくっきいでした。でもみみちゃんはやさしくて、クッキーをくれました。

「おそとであそびましょう」とせんせい。「ハーイ」とみんな、ハナは、ミミちゃんといっしょに、かくれんぼをしました。

おむかえがきました。「マーマー」とハナはだきつきいえへかいりました。「ともだちできた?」「うん」「うん」

つぎのひようちえんにきてみたら、「はっぴい」とみんながきて、「おたんじょうびおめでとう」「わあい」

「きのうはいじわるしてごめんね。」とみんな「いいよ」とハナ、「きょうは、おたんじょうびかいしっちゃオー」「やったあ」

さあおたんじょうびかいのはじまりです。まじっくしょうや、にんぎょうげき。いろいろたのしいようちえんです。

「おしまい」

叔母感想:この物語に、新しい組織に入る際の、人の心の動きと流れが表れているような気がしてなりません。ハナは最初にようちえん、すなわち新しい組織に入るとき、とてもわくわくしています。一方ママ、すなわちそれまでハナが属していた組織の人間は、「わくわく」はしていないように見えます。
「大丈夫かしら」と心配し、もしかすると、心の中では、「新しい組織になんて入れずにいてほしい」と願っているようにすら見えます。

そして、次の日、ようちえんにわくわくしながら入ったものの、「がまん」の連続です。絵を描けばからかわれ、好き嫌いをバカにされ、あげくのはてには、悪いことなんてしていないのに、蹴られ殴られと精神的、身体的にボコボコにされているようです。

この話の展開には「う・・」っときました。まさしく、その通りだと思ったからです。
私たちって、どうして、新人や新しいことを、初め無意識のレベルで排除しようとするんでしょう・・。
そういう遺伝子もってんのかな~~・・

そして、その「がまんの儀式」に耐えたハナはようやく少しずつ、周りから受けられていくようです。ハナは多分女の子なので、まずは女の子と仲良くなっています。私たちもまずは、同性が接近することを考えると面白いほど現実と合致しています。そして、多分、「ひろと」くんは、その後「ハナ」を好きになりますね!!(笑)

そして、ママのお迎え。一旦懐かしくてあったかい今までの組織に戻り、心を休めています。

次の日にはすっかり新しい組織に溶け込み、「誕生日」、すなわち、ハナの成長をこの新しい世界が認めていく。

いやあ、おばちゃん、びっくりですよ。組織と個人の関係性について、あんなに小さい体で、もう分かっちゃっているんですね。あなたの成長が、ホントに、ホントに楽しみです。

2008年12月22日月曜日

「砂の石」-フィジーで紡いだ物語-2 



強烈な光ですべてが真白に見えた砂浜の先、透明な波が静かに引く一瞬の、色のトーンが少し濃くなったその場所で、小さな小さなガラス石を見つけた
目を開けていられないほどの光の中で、ガラス石を空にかざした時、誰かの顔が見えた気がした。

あれは確かに物語だったと思う。海岸に打ち寄せられた砂が芸術の紋様を描き出すように、私の中の心が紡いだ1つの小さな物語だったのだ。

誰だったのだろう、思い出そうとすると頭ががんがんした。知っている顔か知らない顔かそれすら分からなかった。太陽はぎらぎら輝いていて、椰子の葉は海からの風を受けてわさわさと揺れていた。私はポケットにそのガラス石を押し込んでホテルに戻った。

受付で、たった今電話があったと言われた。実家からで、母方の祖母が急死したという伝言が書かれた紙を受け取った。汚く書きなぐられた英語の中にそれを読んだ時、妙な感情が津波のように押し寄せてきた。悲しいという感情ではなかったと思う。小さいときから祖母は私にとても厳しかった。体罰はなかったものの、私の存在そのものがやっかいだと言わんばかりの祖母の気持ちが見て取れて、いつも苦しかった。背筋がすっと伸びていて、着物を粋に着こなし、趣味がガーデニングと俳句作り、季節の折には日本各地から何十枚もの葉書が祖母宛に送られてくるほど交友範囲も広かった。「死」の臭いなんて微塵も感じられなかった。だから、母を通じてもらった、体だけには気をつけなさいという、突き放したように美しく筆で書かれた一言が遺言になるなんて思いもしなかった。
ホテルのロビー前には、私の知らない名前の、赤や黄色の大きな花が植えられてあって、花弁がなまめかしく揺れていた。

部屋に戻る気にもなれず、日本に電話をかけるほどに心も落ち着いていなかったので、来た道を戻るように外へ向かった、はずだった。受付を軸に左右に廊下があり、右へ曲がって少し歩くと、正面に芝生で敷き詰められた庭が見えてくる。この庭はそのまま海岸につながっていて、私はそこから戻ったばかりだった。それなのに、どうして左に曲がったのだろう。
間違えたことにはすぐに気づいた。でも、戻る気にはならなかった。昔からこういう癖があった。どんどん突き進む。不安はすぐに期待に変わる。あの角を曲がると何が見えるのだろうと想像する。

アスファルトの道は夏の光に照らされていた。陽炎がゆらりと空気に揺れていた。せみの声が大きな木の中から聞こえていた。歩く速度が速まる。日傘を差した女の人がこちらに向かってくる。ひらりひらりとフレアスカートの裾が揺れている。いつの記憶だろう。赤い鳥居。ペンキのはげた「氷」の看板が立てかけてある駄菓子屋。森へ続く石の階段。祖母が青い顔で走ってくる。「いつまでも帰ってこないんで心配してたんよ。」ちぇっと舌打ちして祖母を見上げる。日は西のほうに傾いていて、祖母の足から影が長く伸びている。あぁ、祖母の家に泊まっていた時だ。祖母は私が高校生に上がる頃まで1人暮らしをしていた。祖父は戦争中に他界した。乗っていた船が追撃されて、船ごと太平洋の海の底に沈んだ。祖母は祖父の遺体すら返されなかった。それから、女手1つで母を育て上げた。母は父と結婚し、祖母の家を出た。毎年お盆が近づくと、私たち家族は祖母の家を訪れた。

突然影が視界に入ったと思った瞬間、誰かにぶつかった。

「I’m sorry.」
「こちらこそごめんなさいね。」
顔を上げた瞬間、ひゅんと風が鳴った。
「あら、あなた大丈夫?お顔が真っ青よ。」
目の前には祖母が立っていた。ノースリーブの白いワンピースを着て、銀色の髪を後ろで束ねて、うっすら化粧をした祖母が私の顔を覗き込むようにして立っていた。
耳の奥に風の音が鳴り続ける。痛いほどの光がすべてを真っ白にしていく。
「本当に大丈夫?あなた、本当に気分が悪そうよ。」
祖母の後ろから、1人の男の人がすっと現れたところまでは覚えている。NINA RICCIの香水が頭の中を煙りのように充満してゆく。
昔、祖母の誕生日に贈った香水だった。祖母は一度もそれを使わなかったと思っていた。

目が覚めた。

宿泊部屋のベッドで寝ていた。夢だったのだろうか。大きな窓から風が入ってきた。水色のカーテンが大きくうねった。香水の残り香が私の周りを駆け抜けて消えた。その時、ガラスコップを手にした祖母―あまりに祖母に似た老婦人がにっこりと笑って、
「良かった。軽い日射病だって、お医者様がおっしゃっていたわ。日本とは違うんだから気をつけなきゃ。」
と、言った。こうして見ると、祖母とは違う誰かだった。祖母のほうがもう少しアーモンド形の目だったし、顎ももう少し尖っていた気がする。それでも、よく似ていた。私はコップに口を近づけた。透明な液体が私の喉を通り抜けて消えた。

「世の中には自分の分身が3人いるらしいわ。そして、その人に会うと死が近いことを意味しているらしいの。怖いわね。」
私が小学生の頃、祖母が話してくれたことを思い出した。炬燵に入っていて、祖母は編み棒を持つ手を少し休めて、私に蜜柑をむいてくれた。部屋の中はほんのりと暖かくて、私は蜜柑を食べながら、自分に瓜二つの誰かを想像した。気味悪いなと思った。

 「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして。あんまり海がきれいだったんで、長く居すぎたみたいです。」
祖母に瓜二つの婦人は、本当にきれいよね、ここの海は、と答えた。
あんまりきれいなものだから、いろいろなことを思い出してしまうわ。随分前、初孫が生まれたときのこととか。当の娘よりも私のほうがおろおろして泣いてしまったり。
目を細めて窓の風を受けていた。水色のカーテンがふわりと踊った。

あぁ、なんだ。やっぱりそうかと思った。

あなたはまだ若いから分からないかもしれないけれど、人は死ぬために生きていると思うの。一生懸命食べるために働いて、働くために勉強して、でも、そうすればするほど棺おけが近づくなんて、考えれば妙な話よね。私があなたくらいの年の頃、この世の本はすべて読みきれると思っていた。でも、読むべき本はあまりにも多すぎて、聞くべき話もあまりに多すぎて、そんな知識や経験はただ、言葉の砂となって記憶の海に流れてゆくだけ。なんだか、尼さんみたいな口調だわ。嫌ね、年ね。ごめんなさいね。

波の音が遠くで聞こえる。ガラス石が私のポケットから滑り落ちて、からりと音を立てた。

本当に死にたいこともあったけれど、変だけれど、そう考えると頑張れたのよ。

窓から入る光に少しずつオレンジ色が入ってきていた。

長居してしまったわ。ごめんなさいね。体だけには本当に気をつけてくださいね。これをね、きちんと声に出してあなたに伝えたかったの。これだけが、心残りだったのよ。

あなたときちんと話せて本当によかった。でも、あの人も待っているし、そろそろいかなきゃね。

目が覚めた。

自分の部屋のベッドで寝ていた。
大きな窓から風が入ってきた。すでにその色を失ったカーテンが大きくうねって、香りの強いNINA RICCIの残り香が私の周りを駆け抜けた。その瞬間月の光が差し込み、床に落ちたガラス石を眩しく照らしだした。


私はそれを見て、初めて、祖母の死に声を上げて泣いた。

2008年12月14日日曜日

God Hands- Wasawasaを聴きながら


先日、マッサージのスクールに通っている友人の練習台(笑)として、人生で二度目のマッサージを受けてきました。

一度めはインドで。意味も分からないまま全裸にされ、しかも、タオルとかで隠してくれればいいものを、全裸のまま、よく分からないオイルをぬりたくられて、ゴシゴシ、ゴリゴリとかなりの圧力で「マッサージ」され・・こちらは、恥ずかしいのと、痛いのと、くすぐったいのと、もう、ホントよく分からない不快感で、「OK!! OK!! That's enough!!!」と叫んでいたと思います・・・図的にも相当恥ずかしい・・・。


そんな苦い経験があったものだから、「マッサージ」=「気持ち悪い」という図式が完全にできあがっていて、その友人からのお誘いも、はじめは「う~~ん」と躊躇してしまったのが正直なところ・・。


しかし。 彼女のマッサージは、その「ネガティブ思考」さえ溶かしてしまうほど素晴らしい施術でした。

部屋の温度、湿度、光の明暗、香り、そして聞こえてくる音にもさりげない心遣いがあって、何よりも彼女の手が、なんていえばいいんでしょう、カイロみたいにすごくあったかくて、私の皮膚がなんの「敵対心」-「拒絶反応」もせずに彼女の手を自分の皮膚として受け入れるような感覚がとても気持ちよくて、半分眠りこけていたと思います・・。
そして、これは私もびっくりしたのですが、事務仕事中心の私の上半身はコリにコッていて、毎日背中がバリバリと不快に痛かったのに、そのマッサージを受けた後、その痛みがほぼ消えていたことです。そして今もその痛みは消えたまま・・。
なんで??


そういえば、フィジーに暮らしていたとき、白い煙のようにGod Hands-「神の手」が頻繁にゆらゆらと姿を現していました。

職場でのお茶の時間に、日曜の教会からの帰り道に、バスを待っているときに、あるいは、バスでたまたま隣合せしたおばちゃんの口から。
「誤って熱湯を足にこぼしてしまって、大火傷をしてしまったんだけど、God Handsに手当てをしてもらったら、すっかり良くなったのよ」
にこにこしながら話す同僚に、日本人としての教育を受けてしまっている私は思わず、
「ラスラス~~~!!(うそだ、うそだ~~)」
とからかうと、同僚だけでなく、そばにいたフィジアンたちもわらわらと周りに集まってきて、真顔で、「うそなんかじゃない、俺は、この怪我をGod Handsに治してもらったぞ」と傷口を見せてくれたり、「私の赤ちゃんは高熱をだしたときにGod Handsに熱を下げてもらったのよ」などなど、実体験でもって私にせまってくる始末でした。


どうして、慢性的な背中の不快な痛みが治ったのか、どうして、God Handsがフィジアンの病気や怪我を治していくのか、私にはやっぱり分かりません。
だけど、間違いなく言えるのは、「自分の手」だと効果があんまりないってことと、同じ他者の手でも、病んでいる者に対する、多分、深い「愛」(←セックスの対象の意味ではなくて)を持つ「手」に何かがあるかもしれないってこと。もしかすると、「手」を媒介とする「思い」-「生命のエネルギー」かもしれません。 **********************************************************************************************
人は他者にさわり、さわられていることを必要としている。動物実験でも、人間に対する研究でも、身体的な接触を絶たれた個体は不安になり、適応力が低下し、病気になりやすいという結果がでている。さまざまな文化にわたる研究でも、性的な抑圧や人との身体的接触が絶たれた社会が暴力を生みやすいということが分かっている。(ナチュラルメディスン、アンドルー・ワイル著から抜粋) ********************************************************************************************