2008年12月22日月曜日

「砂の石」-フィジーで紡いだ物語-2 



強烈な光ですべてが真白に見えた砂浜の先、透明な波が静かに引く一瞬の、色のトーンが少し濃くなったその場所で、小さな小さなガラス石を見つけた
目を開けていられないほどの光の中で、ガラス石を空にかざした時、誰かの顔が見えた気がした。

あれは確かに物語だったと思う。海岸に打ち寄せられた砂が芸術の紋様を描き出すように、私の中の心が紡いだ1つの小さな物語だったのだ。

誰だったのだろう、思い出そうとすると頭ががんがんした。知っている顔か知らない顔かそれすら分からなかった。太陽はぎらぎら輝いていて、椰子の葉は海からの風を受けてわさわさと揺れていた。私はポケットにそのガラス石を押し込んでホテルに戻った。

受付で、たった今電話があったと言われた。実家からで、母方の祖母が急死したという伝言が書かれた紙を受け取った。汚く書きなぐられた英語の中にそれを読んだ時、妙な感情が津波のように押し寄せてきた。悲しいという感情ではなかったと思う。小さいときから祖母は私にとても厳しかった。体罰はなかったものの、私の存在そのものがやっかいだと言わんばかりの祖母の気持ちが見て取れて、いつも苦しかった。背筋がすっと伸びていて、着物を粋に着こなし、趣味がガーデニングと俳句作り、季節の折には日本各地から何十枚もの葉書が祖母宛に送られてくるほど交友範囲も広かった。「死」の臭いなんて微塵も感じられなかった。だから、母を通じてもらった、体だけには気をつけなさいという、突き放したように美しく筆で書かれた一言が遺言になるなんて思いもしなかった。
ホテルのロビー前には、私の知らない名前の、赤や黄色の大きな花が植えられてあって、花弁がなまめかしく揺れていた。

部屋に戻る気にもなれず、日本に電話をかけるほどに心も落ち着いていなかったので、来た道を戻るように外へ向かった、はずだった。受付を軸に左右に廊下があり、右へ曲がって少し歩くと、正面に芝生で敷き詰められた庭が見えてくる。この庭はそのまま海岸につながっていて、私はそこから戻ったばかりだった。それなのに、どうして左に曲がったのだろう。
間違えたことにはすぐに気づいた。でも、戻る気にはならなかった。昔からこういう癖があった。どんどん突き進む。不安はすぐに期待に変わる。あの角を曲がると何が見えるのだろうと想像する。

アスファルトの道は夏の光に照らされていた。陽炎がゆらりと空気に揺れていた。せみの声が大きな木の中から聞こえていた。歩く速度が速まる。日傘を差した女の人がこちらに向かってくる。ひらりひらりとフレアスカートの裾が揺れている。いつの記憶だろう。赤い鳥居。ペンキのはげた「氷」の看板が立てかけてある駄菓子屋。森へ続く石の階段。祖母が青い顔で走ってくる。「いつまでも帰ってこないんで心配してたんよ。」ちぇっと舌打ちして祖母を見上げる。日は西のほうに傾いていて、祖母の足から影が長く伸びている。あぁ、祖母の家に泊まっていた時だ。祖母は私が高校生に上がる頃まで1人暮らしをしていた。祖父は戦争中に他界した。乗っていた船が追撃されて、船ごと太平洋の海の底に沈んだ。祖母は祖父の遺体すら返されなかった。それから、女手1つで母を育て上げた。母は父と結婚し、祖母の家を出た。毎年お盆が近づくと、私たち家族は祖母の家を訪れた。

突然影が視界に入ったと思った瞬間、誰かにぶつかった。

「I’m sorry.」
「こちらこそごめんなさいね。」
顔を上げた瞬間、ひゅんと風が鳴った。
「あら、あなた大丈夫?お顔が真っ青よ。」
目の前には祖母が立っていた。ノースリーブの白いワンピースを着て、銀色の髪を後ろで束ねて、うっすら化粧をした祖母が私の顔を覗き込むようにして立っていた。
耳の奥に風の音が鳴り続ける。痛いほどの光がすべてを真っ白にしていく。
「本当に大丈夫?あなた、本当に気分が悪そうよ。」
祖母の後ろから、1人の男の人がすっと現れたところまでは覚えている。NINA RICCIの香水が頭の中を煙りのように充満してゆく。
昔、祖母の誕生日に贈った香水だった。祖母は一度もそれを使わなかったと思っていた。

目が覚めた。

宿泊部屋のベッドで寝ていた。夢だったのだろうか。大きな窓から風が入ってきた。水色のカーテンが大きくうねった。香水の残り香が私の周りを駆け抜けて消えた。その時、ガラスコップを手にした祖母―あまりに祖母に似た老婦人がにっこりと笑って、
「良かった。軽い日射病だって、お医者様がおっしゃっていたわ。日本とは違うんだから気をつけなきゃ。」
と、言った。こうして見ると、祖母とは違う誰かだった。祖母のほうがもう少しアーモンド形の目だったし、顎ももう少し尖っていた気がする。それでも、よく似ていた。私はコップに口を近づけた。透明な液体が私の喉を通り抜けて消えた。

「世の中には自分の分身が3人いるらしいわ。そして、その人に会うと死が近いことを意味しているらしいの。怖いわね。」
私が小学生の頃、祖母が話してくれたことを思い出した。炬燵に入っていて、祖母は編み棒を持つ手を少し休めて、私に蜜柑をむいてくれた。部屋の中はほんのりと暖かくて、私は蜜柑を食べながら、自分に瓜二つの誰かを想像した。気味悪いなと思った。

 「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして。あんまり海がきれいだったんで、長く居すぎたみたいです。」
祖母に瓜二つの婦人は、本当にきれいよね、ここの海は、と答えた。
あんまりきれいなものだから、いろいろなことを思い出してしまうわ。随分前、初孫が生まれたときのこととか。当の娘よりも私のほうがおろおろして泣いてしまったり。
目を細めて窓の風を受けていた。水色のカーテンがふわりと踊った。

あぁ、なんだ。やっぱりそうかと思った。

あなたはまだ若いから分からないかもしれないけれど、人は死ぬために生きていると思うの。一生懸命食べるために働いて、働くために勉強して、でも、そうすればするほど棺おけが近づくなんて、考えれば妙な話よね。私があなたくらいの年の頃、この世の本はすべて読みきれると思っていた。でも、読むべき本はあまりにも多すぎて、聞くべき話もあまりに多すぎて、そんな知識や経験はただ、言葉の砂となって記憶の海に流れてゆくだけ。なんだか、尼さんみたいな口調だわ。嫌ね、年ね。ごめんなさいね。

波の音が遠くで聞こえる。ガラス石が私のポケットから滑り落ちて、からりと音を立てた。

本当に死にたいこともあったけれど、変だけれど、そう考えると頑張れたのよ。

窓から入る光に少しずつオレンジ色が入ってきていた。

長居してしまったわ。ごめんなさいね。体だけには本当に気をつけてくださいね。これをね、きちんと声に出してあなたに伝えたかったの。これだけが、心残りだったのよ。

あなたときちんと話せて本当によかった。でも、あの人も待っているし、そろそろいかなきゃね。

目が覚めた。

自分の部屋のベッドで寝ていた。
大きな窓から風が入ってきた。すでにその色を失ったカーテンが大きくうねって、香りの強いNINA RICCIの残り香が私の周りを駆け抜けた。その瞬間月の光が差し込み、床に落ちたガラス石を眩しく照らしだした。


私はそれを見て、初めて、祖母の死に声を上げて泣いた。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初コメント☆です。
この空気感は、mi-maさん独特のものだと思う。やっぱり、あなたの文章、大好きです。

mi-ma さんのコメント...

yukiさん!コメント本当にありがとうございます!初コメント、緊張しますよね~~。私もすんごく緊張しながら、コメントしたことを思い出しました。コメント先は、このブログにもリンクさせていただいています、16PKさんの「写真好きですか?~」のブログでした。
とても素敵なブログを展開しているので、良かったら覗いてみて下さい。日常の中の、瞬間の美しさにはっとさせられる写真が沢山投稿されていて、オススメですよ!

私も、読んでて気持ちのいいブログにしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いしま~~す☆☆☆

Ryuutta KUSAKA さんのコメント...

こんにちは

とても素敵な物語ですね。
それは、人の愛に気づいたとき、突然わき上がる感情ですよね。

mi-ma さんの綴る文章は、活字離れ著しいこの私でも、とても強く引きつけられるものです。スーッと、物語の世界へと引き込まれていくのです。まるで、主人公の「私」がいた世界をこのスクリーン越しに眺めているかのようです。
子供時代の夏休みの場面などはとても共感できますよ。

mi-ma さんのコメント...

16PKさん!

そう。私も、経験上、愛されてるって(「愛されてた」って過去形の方が正しい?)感情って突然わきあがるような気がします。それは、同性からも、異性からも。

この物語の1/4くらいは事実で、この「死」っていうのを真正面から向き合いたくって、インドの「死を待つ家」というマザーテレサが立ち上げた施設でボランティアをしたこともあります。

今まで見たこともない過酷な場面に体当たりして、でも、正直、まだ、やっぱり、よくは分からないんですが、「愛」と「死」ってもしかしたらすんごく近くにあるのかもしれない・・って思ったり。
なくしてみて、初めて、それに気づく、みたいな。わかんないけど。

あ、夏休み!東北の方も夏はあんな感じですか?なんだか不思議~~・・。

文章、褒めてくださって本当にありがとうございます!!これからも頑張ります!!!

Ryuutta KUSAKA さんのコメント...

それと、雰囲気がピッタリの写真はmi-ma さんの作?

物語と、それに合わせるような挿絵とか写真を付けるブログも素敵だと思います。これからも期待しています。

mi-ma さんのコメント...

あ、これは友人からもらった写真です。フィジーの空と光です。素敵ですよね。ブログにちらばっている写真は、ほとんどその友人からのものです。

写真は今まで意識したことなかったから、これから撮ってみようかな・・

何度も褒めてくださって、ありがとうございます。
本当にうれしいです。

又、物語を作って、投稿しようと思います!!