2008年11月15日土曜日

「人はなぜ恋に落ちるのか」~mimaを聴きながら


面白い本を見つけました

人類学者、女性、NZ在住の著者が、「愛」を生み出している感情をさぐるために、 fMRI、すなわち脳内スキャンを使ってその脳内活動を記録して、結果を考察しているものです

「つい最近、激しい恋に落ちた人はいませんか??」

NY州立大学の掲示板にこんなチラシが貼られ、その、「激しい恋」をしている男女の脳内をスキャンする


もう、それを想像するだけで、面白い(笑)

「モラルアニマル」(Robert Wright著)や、「脳が「生きがい」を感じるとき」(Gregory Berns著)に続くヒット作です



でも、なぜ恋に落ちるのか(Why)、落ちたらどうなるのか(How)については進化論やら動物行動学やらも含めて面白い展開を進めているのですが、そもそも「恋」って何だろう(What)については、書かれていないようでした


そもそも「恋」って何だろう


もう、10年以上も昔、そのときとても仲良しだった友人に、真夜中の電話で同じ事を尋ねたことがあります

恋って何なんだろう・・

友人は電話の向こうでしばらく考え、部屋の外では虫の音が聞こえていて、私は電話を持つ手を右から左にかえました


「たとえば」
友人の少しくぐもった声が言葉を紡ぎ始めました

「想像してみて。君は今公園にいる。季節はそうだな~~、緑が水分をたっぷり含んでいる春。天気がよくって、空は透き通っていて、君はベンチで本を読んでいる。ページを一枚、一枚、ゆっくりとめくっていて、ときおり猫が通り過ぎる穏やかな午後の休日

ふと、本から目を離して、あら、と思って右手を宙に浮かべる。穏やかな空気の中に、ほんのりと湿気を含んだ風が君の頬をかすめたような気がしたから。その時、丁度その時、その右手の人差し指に最初の雨粒が一粒落ちるー」

「恋ってこういうことかもしれない。」


私が公園にいることも、ベンチに座っていることも、本を読んでいることも、あらと思って右手を宙に浮かべることも、そこの人差し指に雨粒が落ちていくことも、本当に日常。日常の枠は超えてはいない


だけど。
目線を「私」から空中に飛び、雲の上にまで持っていくと、その瞬間、雨雲をつくって、一番最初の小さな雨粒を私の人差し指に落とすことは、天文学的な偶然の結果起こりえた奇跡かもしれない


日常の隙間に重なっていく偶然と偶然が、互いの脳みそのどこか(本では前頭葉といってますが、私は寧ろもっと原始的な脳幹のような気がします)が発火して恋が始まるー

日常の中のふとした偶然に意味を見出し、そこに物語が見えたときに人は恋に落ちていくのでしょうか

遠藤周作やポールオースターなんかが喜びそうな結論です。