2008年11月8日土曜日

「人体の不思議展」の感想-「記憶喪失学」を聴きながら



奇妙な展示会でした。

本物の死体がずらりとならんで、ずらりと並んでるだけでなく、いろんな角度から切り刻まれて展示されていました。


若いカップルや医学生らしき群れや、インテリ風味の紳士や、子供連れのファミリーが、蛍光灯が明るく照らす中で穏やかに、そしてじっくりと
それらを眺めている様子も、やっぱり奇妙でした。

私もその奇妙な集団にすっかり溶け込んで、皮がべらりとはがされて筋肉と内臓だけになった人体や、私の体内にもある女性器がどんな風に下腹部におさまっているのかスライド状になって示されている人体や、顔が水平に3層くらいスライドされている人体や、筋肉が花びらのようにひらりひらりと舞っている人体を、まるで絵画を鑑賞するかのように近づいたり、少し離れたりしながら眺め続け、そして感動のため息なんてついていました。

その一方。

断層された顔の一番上、目や睫毛や鼻腔や唇がついている部位をガラスケースの上からじっとのぞいていると、そこには毛穴が生々しくあって、少しあいた唇の中から数本の前歯が見えていて、そのうちの一本は誰かと殴り合いをしたのか、それともどこかにぶつけたのか、少しだけずれていて、睫毛が長くて、容易に生前の顔が想像できて、顔だけでなく、その性格や人生すらも見えてしまいそうになって、そのうちに奇妙な親近感もわきおこり、そうなると、彼も私たちと同じように目を開けてもいいのに・・とすら思い始めている私もいました。
「彼」の頭のみがそこには展示されていて、しかも水平に3断層に分かれていて、脳みそのしわしわすらも見えているにもかかわらず、です。

「最近、記憶が脳みそだけに存在しているわけじじゃないかもって話あるじゃん」


隣で同じように展示物を見ていた友人の声で我にかえりました。

「女性が心臓移植の手術を受けたらしいんだけど、オペも成功して、無事に退院したらしいのね、でもそれからその人、女の裸の写真とかを見るとムラムラするようになっちゃったらしくって、笑、どうも臓器提供者が「男」だったらしいのよね、笑!!」

女の裸にラムラとしてしまう可哀相な女性が本当に存在するとしたら、私たちを取り囲むこの展示物たちもそれぞれの「記憶の原型」を秘めているかもしれません。

でも。

その大部分を蓄積しているといわれる脳みそですら、抜け殻になってしまうと、少なくとも単体では、こんな風にころんと転がっているだけで何か重大な意味をもっているとも思えません。

けだるく流れてくる音楽が、煙のようにくすぶりながら部屋の空気をねじまげていきます。
美しい旋律とともに、私の記憶もあやふやになってしまいそうです。

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