2011年4月23日土曜日

祝!九州新幹線全線開通CM



なんだろう、なんでだろう、んもう、涙がでてきてしょうがないです

あぁ、生まれ育った九州だあと、たまらなくいとしくなりました

人っていいな、人が集まって、楽しい気持ちやウレシイ気持ちをカラダで表すと、
こんなにも感動するんだな、見ている人たちも踊りたくなるんだなって、思いました

九州、沖縄から、四国、本州、そして東北、北海道まで、こんな風に、つないで、つないで、日本が家族みたいになって、笑い合えるようになったら、確かに絶対楽しくなると思います。

それまで、ここ宮城で、しっかり地に足つけて、両手をうんと広げて、踏ん張っていきます!

このCMを教えてくれたFさん!
本当に、本当に、ありがとう!!!

原発を考える—「ナターシャ・グジー」



先日、上司から紹介された「ナターシャ・グジー」の唄。

—繰り返す過ちのそのたび
人はただ青い空の青さを知る—

ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ、そして、フクシマ…。




2011年4月9日土曜日

「原発」を考える—「少女の声」と「Odetta sings "Glory Halleluja"」




先日アップした「福島からの声」についてコメントくれたyukiさん。
その中で紹介してくれたOdettaの唄。

昔、原発に関するある講演会で、泣きながら大人に訴えた中学生の女の子の言葉を、この唄を聞きながら読み返しました。


話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来てい るのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりして いる。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高 いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

(「原発がどんなものか知ってほしい著:平井憲夫からの抜粋)


この文章は1996年に書かれていて、この講演会はもっと前にあったと思うので、この泣きじゃくりながら訴えた女の子も30歳を超えていると思います。

どうか、恋をして、結婚して、元気な赤ちゃんを生んでてほしい…。
そして、どうか、変わらずに声をあげててほしい。

私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている

そういえば。

2008年??の夏に行ったUAのライブでも、同じことを叫んでた。
歌いながら、同じことをUAは、叫んでいた。

2011年4月6日水曜日

「津波から生き延びた宮城農業高校の牛」—その続き

畜産学を学び、今の日本の畜産システムに反発する形で日本を飛び出したとき、私は27歳でした。

南太平洋の島国で、ひたすら、放牧牛と熱帯牧草と土壌の試験研究をして、そうして、日本に帰ってきました。

あれから、9年。

不思議な巡り合わせと、ほんの少しの勇気で、あの大災害で牛を逃がした先生と連絡がとれ、実際に当時の話を聞くことができました。

牛好きは、牛好きを呼ぶのでしょうか。

先生と会えたと同時に、偶然が必然となるような巡り合わせで、宮城農業高校の卒業生で、今、被災地への支援を精力的に行っている、パワフルな娘にも出会うことができました。

マイブログリストにも登録したので、チェックして下さい。すごく魅力的な女性です。

彼女は、27歳。

私が日本を飛び出した年で、彼女は、地元で、農業と向き合っていて、地に足ついて生きていて、あっぱれなほどにゲラゲラと気持ちよく笑いながら話を進めてくれて、あぁ素敵な娘だなと、ココロから思いました。

なんだろう。

今回の災害で、今、被災地も、そうでない所も、ものすごいスピードで、人と人とがネットワークを構築していっているような気がしているのです。

それこそ、ありんこの触角みたいに、互いに本能の嗅覚を使って、言葉じゃない、なんだろう、それこそ、「あ、うん」の感性、多分、テレパシーと呼ばれるもの、そういった究極の感性を、今、急速に進化させていってるような気がするんです。

それが、いい、とか、悪い、とか、そういう次元の話でなく、多分、生き残るため、この災害から立ち上がる為、それだけの為に。

そのために、今、私は、宮農の先生と出会い、宮農出身の彼女に出会ったんだと思います。

前回のブログでも紹介した、生き残った牛たち。

先生たちが命をかけて、なぜ、家畜である牛を救おうとしたのか。

実際にお会いした時、この話を小さな絵本にしたいと申し出ると、先生は、こう答えました。

「その絵本には、続きがあります」

え?と思わず、その先生の顔をのぞきこみました。

先生は、まっすぐに私の目を見て、言葉を続けました。

「この続きこそが、本当に私が求めていることなんです。

津波で何もかもがなくなってしまったからこそ、今、奇跡を生み出したいんです」

2011年4月5日火曜日

「津波から生き延びた宮城農業高校の牛」—新聞で掲載!

先日にアップした、あの、牛の動画。

この奇跡が読売新聞でも掲載されています。
↓↓↓

流された乳牛14頭、宮城農高に帰ってきた!

(2011年4月5日14時01分 読売新聞)

しかし、この奇跡は、思いもよらない方向へ向かうのです。

↓↓
(詳細は、こちら、16PKさんのブログへ)


2011年4月4日月曜日

福島からの声

私には、この声を伝えることしかできません。

原発
(キューリ歩人のかっぱ巻き〜HARD→HEART〜のブログから)

今の福島県の叫びです。泣きながら、叫んでいます。

前回掲載したサイトでも、同じことが、叫ばれてました。泣きながら、叫ばれてました。
でも、私に、届かなかった。

でも、今は、しっかりと届いています。胸に、痛いほどに。

原発は、そこに住む人の、特に女性のココロをズタズタにします。
こちらの方が、深刻だと思います。

原発から100キロ圏内に住む私も、今回の事故で、実は、子供を生むということを、女の喜びを捨てようと、あきらめようと、少し思っています。

そう思って、少しだけ涙をこぼしています。

原発は、本当に核の平和利用なんでしょうか。

本当に、クリーンなエネルギーなんでしょうか。

では、なぜ、原発のある地域では、事故が起るたびに、血の涙が流れるんでしょうか。
いわれのない差別が生まれるんでしょうか。争いが生まれるんでしょうか。

もしかしたら、私たちは、とんでもない過ちを犯しているんじゃないでしょうか。

無知という名の過ちを。


2011年4月2日土曜日

一体、原発ってナニ?

ショックでした。

↓↓↓
二十年間、原子力発電所の現場で働いていた方からの必死のメッセージ

このメッセージ、阪神淡路大震災の翌年、1996年のもの。

今から、15年前。

すでに、今の福島での原発事故を、予測、していて、必死で、それこそ、命をかけて、
言葉を投げていたのに。

私は、まったく、知らなかった。

呆然としました。