先日、幕内さんのブログに「フェアトレード」に関してアップされていました。
「社会貢献できるチョコレート?」
幕内さんは、そのブログの中で
▼フェアトレード、社会貢献、寄付付き・・・たぶん、いいことなんだろうと思う。だが、何となく違和感がある。理由なき、違和感です。。。
とつぶやいて、終わっています。
その発言に対して、ある読者から
先生が漠然と感じてらっしゃるのは「免罪符」なのでしょうか?
「寄付もあげるから、チョコ好きでも私たちは悪人じゃない」という、チョコホリックの業というかなんというか・・・・・・。
と、洞察が投げられているのですが、幕内さんは、
たぶん、ちがうと思います。うまく説明できません。すみません。
と、こう、なんだか、もがくように答えていました。
大学の時から、「途上国での国際貢献」や、「社会貢献」にあくがれ、そうして、その夢を仕事として実現し続けている私も、実は、特に、ここ最近、この違和感を感じてきているのです。
フェアトレードに対する理由なき違和感
「俺が感じている違和感は…」
パートナーが少し目を伏せながら、言葉を紡ぎ始めます。
フェアトレードをすることによって、すなわち、正当な価格で取引をすることによって、途上国の現地の収入を少しでも増やしていこうっていうのが、その狙いなんだよね?
すなわち、「相手側にたった」貿易なんだと。
でも、そもそも、途上国での飢餓の原因って、植民地時代に、むりくり、その土地で豊かに実っていた彼らの主食ー穀物類をつぶして、その上に、ばーーってプランテーションをひいて、換金作物をつくっていっちゃって、それで、現地の人々の主食とか、食文化とか、そういったものを暴力的に奪い去ったことなんだったって思うんだよね。
で、そのマインドセットのまま、途上国の人々の暮らしをよくしていくためのアクションとして「その換金作物」に対する「正当取引」をしましょうって、土台からして、なんか、全然、見当違いだと思うんだよね。
なんだろう、、、そこには、持続性も自助的な生産性もみえないんだ。
それに…。
少し、言いにくそうに、一旦目をぎゅっとつぶり、それから、木製の椅子にすとんと座ってから、再び、言葉が流れ出します。
それに、これは、ごめん、単なる俺の感覚だけど、フェアトレードって、なんか、ちょっと、先進国の単なるマスターベーションのような気がする。
気持ちいいんだろうね。売る人にとっても、そして、高い値段で買う人にとっても。
そんでもって、そこには、「正当な」貿易相手に対する「生活」への思いやりとか共感がないような気がするんだよ。
だから、俺は、違和感を感じる。やっぱり、うまく言えないけど。。。
彼の話をうんうんと聞きながら、ふと、耳を澄ますと、遠くで、ポコポコと土鍋がないていました。
シュンシュンと、白い湯気がたちのぼり、ふんわりとお米の香りが部屋中にたちこめてきます。
あと30分もすれば、美味しいご飯が炊きあがります。
0 件のコメント:
コメントを投稿